の絵ってグラフィックデザインなんだなと気づいた今日。
世の絵師が何百枚もレイヤー使っていったい何をしているのか、ただ圧倒されていただけでしたが、あれ、要領的には平面デザインで・・・キャラでも文字でも多分やってることは同じなんだろうなあ。
なに当たり前のことを・・・ってやつかもしれませんが、自分としてはすごい発見をした気になってしまったよ。
イラストに関して当たり前のようにデフォルメという言葉を使うが、本旨は模様化なのだ。省略様式の考案ではなく、図案を示しているのだ。模様化された図、そのものが目的なのだ・・・。(女の子を省略して描くのではなく、女の子という図なのだ)
あ~~。カルチャーショックだな・・・。何かが違うと思ってたんだ。デフォルメとか省略とか誇張とかの、語義、考え方、様式、そういうものを把握することで知った気になっていたのだ。
てっきりやってることが、手段が違うのだと思っていましたが、目的が違ったんだ。ショックだ・・・。私はどうすればいいのだろう。
8年前に描いたものを見たら、割とふつうに塗ってあって笑った。
そのときの設定は覚えている。
ストロークへのテクスチャ貼り付けではなく、フラットに塗ってブラシ形状で質感を出すようにってとこですね。
紙質が無ければ、下層の白は塗り残しではなく、白のベタ塗りであります(ブラシによる着色と等価である)から、透明に塗り重ねるにしても見た目がいい。
そして当時はダルくなってしまったディテールも、今なら質感優位で描けるのだから・・・。やっぱりまだまだ捨てたものじゃないぞ。やるだけやるのだ。
そうそう。例えば女の子のイラストって、素材としての用途もありますよね。ギャルゲの立ち絵が、顔のアップになったり全身になったりするように、いろいろとトリミングして。
そういう拡縮に堪えるためにもキレイに仕上げないといけないのでしょうね。
ベタ塗りならサイズをどうしようが見た目が保たれますが・・・。やっぱりベタ塗りなのかぁ。
後付けしなくてもテクスチャを保つ描き方ってあると思うんだけどな~クリスタでも出来るよねえきっと。
もしくは原寸で作業すれば拡大時の損失はあり得ないのだから・・・やってみようか。
[5/7追記]
そう言われてみれば、だ。
デフォルメは模様化なのである・・・ということを上に書いていますが、灯台下暗し・・・と言うか。
例えば女子生徒のスカート。現実で腿が見えるくらいの丈だったらちょっと不良っぽい、攻めてる感じがしますが、2次元だと腿どころか常時下着が見えるような丈で表される場合がありますね。
それはデフォルメだ。現実じゃない。と済ませる前に、デフォルメって必ずしも、誇張・省略などの「モノの意味」に手を加える行為だけを意味しないだろう。
その(現実の定規では)ミニスカに表される女の子が、脚を見せたいとか、パンチラを期待させるとか、この子は暑がりだとか、脚の運動の邪魔になるとかいった、必ず何らかの意味の呈示をしているのか。
そうとも限らない。絵描きは、線と面の関係を時に意味よりも優先させるものです。
「そういう風に顔・上体を描いたなら、それらとの図形的秩序を作るために、スカートはこういう位置に線を置いて表さなきゃならない」と。単純に言えば〇□△の配置関係だ。
まあ他の絵描きに聞いてみたわけじゃないのだけど、まさか私だけがそんな感覚を持って描いているはずはないだろうと。
いやスカートなんて数える程にも描いたことないんですけど、機械とかだって、形状的正しさとか、強さ弱さとかの印象以外に、「この辺りに線が必要だ。引くならここしかない。」という風に描くことがあるんですよ。
で、何でわざわざスカートなんて例えを持ってきたかと言えば、別におっぱいでもいいんだけどさ、そういうのをいろいろと問題にしたい人たちがいるじゃない?
わかるよ、絵描きにそのつもりがなくても、そう見える・そう喚起させる可能性を考えないのは作り手の無責任だというのは。
けれど何故か「そうは見えない」「そう見えても問題はない」可能性についての思考を放棄することを、無責任な態度だとは考えられないらしいんですね、そういう人たちは。
リスクになるかもしれないものはとりあえず除いておく方が安全だ、という言い方をしても同じことです。
天地ひっくり返っても「自分たちのやってることが、社会にとってのリスクである」なんて頭の片隅に浮かびもしないんでしょうね。
声を大にすれば邪悪なものを抹消できる、という考えがね、どこまでも「正義」のつもりでいるから。
(ただ火事を見て喜びたいという「己の快楽が正義」とか、問題から需要を生んで稼ぎたい「儲けこそ正義」などに比べて、「道徳的正義」に基づく人の方が実際は少数派なんじゃないかと思いますけど。)
絵についての理解や鑑賞力がない人たちだってニンゲンですからね、そういう人たちの感情を全く無視してもいい。と断言はしませんが、かと言って、無視しないことと優先することは違う。
創作物に慣れていない人たちがむしろ自分を俯瞰できずに、世界を思い通りにしたいっていう中二病を引き摺っているんじゃないですか?
(その手の連中が主張する世界は大抵ディストピアですから、映画や漫画でも見て勉強したらどうかと思いますが、まあ視点を転換する発想が無い人が見たって意味はないでしょうね。権利の侵害を描いている!不適切だ!とか言いそう。
この、意味がないだろう。と諦めるのもどうかとは思うんですが・・・我々はなんとか全体が破綻しないようにしていくしかないんですよ。
議論の場では頭がおかしい人でも、日常ではごくふつうの、問題ない一般市民だということはあると思うんです。そういう良いところでバランスをとっていけたらいいですね~・・・私にいい提案はありませんけど・・・。)