技術屋

調子悪い車のエンジンを見てもらったんですね。

車屋さん、一度吹かしてヒトコト。「うん、一発死にかかってますねー。」

って、えー、まあ何気筒かは車見りゃわかるんでしょうが、いくつ調子悪いかも簡単にわかるんですね。プロって。

プラグを換えてもらってめでたし。というそれだけの話なんですが。

漫画とかでよく見るじゃありませんか。技術屋のオヤジが、マシンがすれちがっただけで、音からして、ありゃ何型の何番だ、どこどこが調子悪ィな、こうやって乗ってンだろ。みたいな。

満更デフォルメでもないらしい。

どんな分野でも、精通している人間からすれば当たり前に分かることって、あるんだろうとは思いますが、門外の領域での能力に驚かされるのは気持ちがいいものです。

逆に、齧って得意になってる分野だと、そういう気持ちよさを認められないのですけど・・・。知らない、見慣れないものは、「ハァ?」つって終わる。

舌が痩せてる方が楽しいのか。半端なレベルで味を知った気になっているのは愚かとは思います。変に保守的になるから。

勿論、いつまでもセルがーとかアナログがーとか言ってる自分のことです。

無自我なら傷付かない。己を知るなら徹底しないと、半端な自尊心が己の輪郭を守ろうと全てを撥ねつける。


御津羽せんせに倣ってAI画の話なんですが、明暗表現の傾向がありますので、9割は見分けられるかな。

制作者が指さえ直せば安定の商用レベルクオリティ。アニメ影でもつじつまが合ってるのが驚きです(とはいえ投影を作らなくていいからか逆光が多い)。ああいうの自分で描こうと思うとゲゲーとなります。レイヤーの多層構造で描くらしいけど、動作が重くなりすぎてメンドイってことがわかったからやらないのですが。

AIを漫然と使えば平均的フランケンになるのは避けられず、個性を強めれば著作者のスタイルに似てきてしまう。

私は後者にはドロボウのように感じてしまう(もともと怪しかった技術者同士の共犯めいた関係にテクノロジーが外野からぶっこんで来たことへの反発。主観的なものです。特に、複製禁止の注意とAI製のアイキャッチの同居を目にすると非常にモヤる)。前者のような非個性な2次元集合体的な使い方なら、ヴァーチャルな概念的ヴィーナスの顔として認知されるかもしれない。以前モーフィング合成が流行ったときにも生まれ得た像だと思うのですが、あれはぼやけていて輪郭がないから・・・。

既存画像の合成技術への盗っ人的、もしくは怠惰的反感がAIの台頭から始まった訳ではない。

そんなのはフォトショップのコラージュでもやってきたことで(アナログコラージュはまだ芸術だったりするのか?)、ハウツーも氾濫してた。それに、(ネットで)他人の成果を持ってくる手法はビジュアル界隈に限った話じゃないし。相変わらず、ケツを拭いた紙についたクソ同然の記事が溢れていますでしょう。

テクノロジー依存の安直な生産の容易可・増加を呼び水に、ふだん目にするコンテンツの殆どが慣習的パクリ制作の流れに沿ったものでしかなく、ただそれを眺めていただけのユーザーが、やっぱり面白くはないな、ってことを思うようなことがあるんだろうか。

や、私も一般的日本人ですから慣習的続きモノ文化は好きなんですけど。変わらない(方がいい)良さってのもありますし。

維持するべきエッセンスを見極める能力があれば、自動化は質の向上につなげられるはず。手間こそがソレだった場合には、ベツモンになってしまいますが。

いざ変わるといっても当世から見て新しいものって、結局は既に過去でやってたりするもので、今、若い世代の人たちが、平成の延長上の文化を厭ってむしろ昭和に逆行しているような、今の巷はそんな気がします。