広告キッカケから度々読みに行ってしまう「Googirl」なのですが、この連載の2~7話にかけての男のふるまいがすんごいピンと来る。
- 先ず、互いにとって公平に利益がある、ように見えるが「解釈権」「裁定権」(勿論提示しない)は自分にある共同作業のルールを提案する。
- 本人は善意のつもりで同時に負担を相手に押し付ける。(この負担の扱いについてルールでは定まっていない)
- 浮上した問題を指摘すると、「ルールを守らないのか」と詰め寄る。
- 一方、自分はルールを破る。そのせいで生じた負担により相手のパフォーマンスが落ちると責める。
- 自分のルール違反を責められると「仕方ない」「揚げ足を取るな」
- 果ては自分の義務
だけ免除されるを相手に乗せ換えたルールに変える。「これで、俺のルール違反に振り回されなくて心的負担が減るでしょ?」
なんかあまりにあるあるで涙滲んできちゃった・・・。
最後の項の根拠として「俺にはルールは守れない。できないことについて話し合うのは時間の無駄じゃん」なんてとこは心臓がギュって来ます。これに全てが詰まってる気がする。
言った者勝ちというか、議論の進行と理非の裁定を同時に握った気になるやつ・・・。相手の沈黙は肯定ではなく、呆れてものが言えないだけだ。
うわーこいつ、アタマおかしいんだ、というレッテルを人に貼るのは品が無いのですが、やっぱもう、そのように思える人に対して、無駄骨を折る覚悟で、わかりあえる道・共通のことばを探しにいくのは辛いので、差別主義者に堕してもいいかって気がしてくる。
出会わないに限るが、事前にわかるものじゃない。とりあえずルールを作ろうという姿勢は怪しもう。
何か互いの関係にとって進歩的に見せる提案の裏に隠れた、自分の無配慮を免責するための道を敷こうという意図に気づいたとき、返せる言葉は「あなたに関わるのは時間の無駄」だけというのは人間冷たすぎるだろうか?
要するにお為ごかしをルール化しておいて、その構造へ疑念を持たれると、決めたんだからルールは守れよ、人としてどうなの?とかいって道徳論に持ち込んでくる、頭蓋の中身が明後日の方向へでんぐり返ってると思わしき人物と、
いったいどんな使命感で協調しろというのか・・・。
こういう強引さは政治には必要な才能かもしれませんが。というか対人政治でありますが。どうにか利用してやって美味しいとこだけいただこう・・・という企みがなければ、とても付き合えたものではない。
いいや結局人間関係なんて利用し合いだよ、という結論に行き着くのかもしれませんが、マジで「それだけが本質」と信じて、それに基づいた道徳を構築している方とは、道徳論において永遠に平行線なんですよね。仰ぐ道徳が違う人間と、例えば互いに好きなサブカルコンテンツを共通言語にすれば通じ合えるんじゃないかと、思いはしましたが、それだって互いにそういう気があるという前提を信じないと、ベースの部分で反発するだけでした・・・って経験をしました。難しいですね。
互いに自然に気を遣える関係って幻想なんでしょうか。与える利益と受ける利益の収支に喜んだりムカついたりするだけが人付き合いなんでしょうか。わからない。
このサイトの記事、そもそもそんな酷いトンデモ人間と交際なり結婚なりすんなよ、と思うことが多いのですが、確かに、一歩近づいてみるまで分からない性質ってありますね。なんだこのありえねー設定は、と笑っていられる内がいい。
デフォルメクズみたいなのは好きじゃないんですが、そこまですごい例に出会った人に共感をもたらせるなら、あながち否定はできないな。