新年の嘆き

どうしようもない愚痴なのでクッション置きます。

発信するときはなんでもですけど、よさを認知させるより、既に認知されているよさに乗る方がエネルギー的に利口なのです。ただ、もう最近ウンザリします。取ってつけたインフルエンスを見込んだ作りというのが。そりゃあ、例えばコマーシャルに出る俳優なんか、もともと商品とは全く関係ないのだけど、昨今は商品自体がコマーシャル的というか。人に向けてものを作るなら、人に見られなきゃならないのは当然のこと。けど、最早中身を捨てる勢いで、見られることのみに注力するのが最強、みたいな。今をウケれば…どうせコンテンツは年々次々に作られるから、今この瞬間の消費に夢中で、後に振り返って価値があったかどうかなんてどうでもいいんですよ。後に懐古するために今を作ってんじゃないんだから。いや、むしろ、どこもかしこも懐古趣味的ですけど、ほとんどは元ネタとして引っ張ってきて流行に乗せただけのリバイバルであって、必ずしも”懐古”ではないんだよなぁ…。伝統工芸品をプラスチックで出力するようなものでしょうか。”今”すら存在しないのではないでしょうか。インスタントに過去に立脚する割に、フワフワとして踏み締めてはいないんだから。私が好きだったアレコレも、なんかもう、流行に沿うどころか、流行のパワーありき。ウケると思うんでやっちゃいました☆のノリで、本当にウケれば大したものですが。世のクリエイターがどういう心境か、余所からはわかりませんけどね。(本当に本気なのかもしれませんし)

個人はともかく、企業(組織)の意思決定は・・・なんで積み上げてきたものを顧みもしないで、そこから脱却するでもなく、ただの選べるトッピングとして遺産を使ってしまうんでしょうかね・・・。若い世代主動で新しいものをやろう!って風にも見えません。ムーブメントの乗り換え(それも後乗り)をしているだけではないだろうか。漫画的に言えば、「子孫の身体を渡って延命しつつ魂は腐り続け、やがて自分が何者であったのかも忘れたヴィラン」のように。むしろ「パワーを望んで身体を捧げに行く者」なんてのもいるでしょう。ありきたりな漫画的設定だと笑えない現実だと思います。(漫画的なものと無縁に見える、むしろ蔑視しているような人たちがそんな風であるのがまた笑えない。)だったらリメイクの方がましです。インフルエンスを基準にして新でも旧でも混ぜ込んでいるからか、新しい方を向きたいのか古い方を向きたいのか、散弾的集客みたいなものが出てくる。今日の生存しかテーマが無いのでしょうか。

魂をいくらか売るにせよ、気高さを残したいものです。


・・・半分は政治についてのことです。ただのインフルエンサーなんですよね、食うための。仕事をしてもらうために食ってもらうのは当然のことですが、まあよくも無能なのを選んで貪らせておくよね。おかげで腐ったリンゴは落ちず、エチレンは垂れ流し。

SNSでは、政治に関する話題への忌避の表明をチラホラ見ます。

気持ちはわかります。趣味で構成した世界にあんな汚い話題をブチ込んで欲しくないよね。政治家の喋りなんぞ毒電波放出でしかないもの。私は映像なんか見ると心拍数上がるくらいには嫌いです。だからできれば見たくないのですが、そうした無関心の結果が、今日の様相を生んでいるのではないかな。

ひとごとじゃないんですよ。特に、サブ・カルチャーなんて言われてるものを愛好している者たちは、抗わなきゃ。もっとアンダーへ追いやられるか、都合よく利用されてぶち壊されるか知れないんだから。

こればっかりは、無関心・無接触でいるわけにいかないんですよ。後から自分の首を絞めます。

毒電波と言えば、メディアなんかも漠然と見ない方がいいですね。窓になる人(著者やネットサイト)を数人だけ選んでおくことです。情報を集めて精査する気力と時間と精神の健康がある方に任せることです。そして、リストの更新を厭わないことです。

良心というものは、触れると嬉しいものではあるけど、あてにしていいもんじゃない。発信者は為にしているのです。


・・・カルチャーの話・・・昨今の、あの監督への依存はどういうことなんでしょう。

あの作品で、引っ張りに引っ張ったオタクたちの夢を、現実へと強制的に卒業させることをしておきながら、ノスタルジーの旗手として、かつて見られていた夢を担う。肩の荷が下りて、同年配と趣味を分かち合おうというのなら分からんでもないが今度は、現在も続いているシリーズへと手を出し(出させ)た。それも、形を新しくして。どうも無節操じゃないかと感じます。業界の人たちは、何がしたいのか?フェードアウトさせるのも惜しいから、名が通じる内に、最後の稼ぎでもさせようというのでしょうか?

もう、爺さんですよ。そのままを言えば。そして、映像作家(の統率者)としての手腕にも、衰えが見えます。あの監督だから許されるよね、あの監督のやることだから、これは一種の表現なんだね、と慰めなければ耐えられない程度のものばかり作っている。

これも、嫌なら見るな、でしょうか。しかし、その分、他の何か(誰か)はできなくなるわけですよ。こんな売り方だと後進が育ちようがない気がします。

あの監督の名前を出した広告のショート映像とかなら、何をやっても愉快かつ効果的かもしれませんが。


例の作品は、映像屋としての矜持を捨てて美意識も枯れ果てたか、と思ったものですが、今作は評判いいみたいですね。

私は後でいいや・・・と思いつつ、また流行と言う名の勝ち馬に乗り損ねるのか・・・と惜しくもあったりする。