うまい・・・サロベツ牛乳

牛乳が好きです。特に甘いやつが。

サロベツ牛乳は、ミルクアイスでも飲んでるかのように甘い。夏でも甘い。美味い。

乳脂肪分3.6以上、年平均3.9らしいです。私は乳脂肪分大歓迎。

でも、他のメーカーの3.8や3.9が同様に甘いということはないので、まあなんか違うんですね。

サロベツ牛乳の味はサロベツ牛乳からしか得られないので買います。

自分にしっくりくるメーカーは続いていって欲しいものです。


・・・畜産が虐待だとかいうの・・・趣味だよね・・・擬人化した感情移入の・・・。地球が泣いてるとかと同じ。

畜産動物の苦痛を減らすなんてのは人間の頭ン中で考えただけの話です。

もっとマシな家畜人生があるだろう・・・というのは自己満足でしょう。自分が自分の想像に耐えられるかどうかって。

その手の方々は理念の正しさは自明であるとしているのか、争点が語られることがないような気がしますが、人倫に照らして問題かどうかを考えるのがもっともらしいところでしょう。

私は、畜産構造自体が倫理への妥協点だと思うのですが。敢えて考えないようにしたシステム。一般人は陳列棚でしか家畜を目にしないわけですから。

だから、人間の生活のために屠殺(あるいは身体の自由を奪う)する役目を負う”農家”の倫理面への影響や、抱えるストレスを挙げるなら納得です。

家畜のストレスというのは・・・それも美味しい肉にするためにストレスを無くそうというのではなく、家畜の良き一生のために。

いっそ菜食にせよというなら分かるけど、家畜の運命を変えずに優しくしようってのはなんとも半端な妥協というか。そもそも妥協システムなんだからあなた方以外は問題に思ってないし。それであなたは何を食べるんですか?と。(アワレな家畜に思いを馳せて顔をしかめながら肉食ってんの?)自分が気持ちよく肉を食うために、自分は動物に優しいって言い訳をしたいのではないのだろうか?ご自分らで優しい農園を作って勝手にやってくれと言いたくなる。

趣味に正しいも間違いもありはしませんので、愛護的考え自体を否定はしませんけど、根拠を顧みることなく、自明の正義だと思って農家や役人に訴えるのは、まあ、迷惑ですね。

私としては、人間の考える”マシ”に扱ってやれば遠慮なく殺してよいのだ、という発展をしたらその方が危ういとは思いますけど。

下手な考えで理屈をつけるよりは、考えない方がマシなこともありましょう。

実際のところ正義感を持て余してるのではないかと。(虫や植物や微生物は歯牙にもかけないのに。あ、魚は痛覚があるとか、一時期話題になりましたね。まあ、科学的反応がどうかなんて、イメージの後からついてくるものですよ。)