自己相対化を欠くのは感性か戦略か

アゴラを流し見していて、タイトルが気になったこの記事「京アニ放火事件はいかにしてジョン・レノン暗殺事件にすり替えられたか?」に当たりました。(このリンク記事を是非読んでもらって共に難解さに悩んで欲しいけど、わざわざ読んでほしくもない。)

なにがなんだか・・・。

あの事件のことは意識的に情報を集めようとしなかった(当時国内ネットがどんな様相になるかは予想がついた)ので、えっ、ジョン・レノンと同じ扱いだったの?って読んでみたのですが。

タイトル以外に言及してないじゃん・・・。文中だと、911やパリの風刺誌本社テロと同じ扱いを海外でされて、それを日本のマスコミが「世界規模の衝撃」と取り上げたことで日本中大騒ぎになった。そういうことらしいです。

まあ海外の反応がどうとかの因果は調べる気しないのですが・・・。

なんて突拍子もなく理解し難い記事なのだろう。(クリックしてしまった自分が恥ずかしい)

物事の「そういう面もありうる」部分を拡大視して、「これこそ隠された、常人には気が付かない本質だ」のように語ることがむしろ目的にさえなっていそうな雰囲気だ。(野党的とでも言えるでしょうか)

マスコミが、京アニというアニメ制作会社の価値を大げさに報道した面も、あったかもしれない。いやあったとして・・・先ずそれ以前に、単独犯による大量殺人として日本では未曾有のものだったのではないですか?

その衝撃を、被害者側に少しでも否定的な見解を出そうものなら袋叩きにされるパニック状態、というようにひっくり返した見方をするのが、賢人(文中、著者一人称のつもりに読める)の行いなのか・・・。

なにか悪意敵意・執着が透けて見える。

当時の国内における京アニ認知度の根拠として、「アッコにおまかせ」に涼宮ハルヒの声優が出演した際の客席の反応をあげているが、いったいいつの話をしてるんだ???最近のことなのかとググっちゃいましたよ・・・事件の8年前です。(とっくに終わったと思ってたその番組がまだ続いてたことにもビックリだ)

で、マスコミの過大報道への疑念から、京アニ自身の非、へと話題が展開するのですが、(ジョンレノン云々は前置きらしく、要は京アニをサゲたいらしい。人々の「偉大な死への錯覚」の要因の一つは誇大報道であるとするが、そもそもそれ以前に、京アニにそこまで悼むほどの価値があったのか、というわけです。)

業界トップの品質・福利厚生・自社ブランドによる営業戦略、そういう”独りよがりの理想”や、同社アニメの青春を美化して見せる作風が、”狂人”の劣等コンプレックスを刺激し、放火という形で出る杭へのツケが体現したと、要約すればそういうことらしい。

いやそれは京アニという会社の”非”なのか?

狂人を刺激したことが間違いだった、というのは結果論である。道理の外で予想もつかないことをしでかすから狂人なのであって、理外の因果の責任を云々することにどれだけの意味があるのか?

また、京アニの態勢を独善だとの(非難的?)言及・・・ここが一番よくわからないところで、マトリックスのシーンに例えているのも私には全く意図がつかめない。いや・・・マジで。仮想現実のハイウェイ?道交法違反?錦の旗?ここは原文を読んでいただかないと、私には手に余る・・・。

この例えがいったい何のつもりなんだ・・・と、これは置いておくとして、文中にリンクが置かれた同著者の記事(こちらも例え話をふんだんに含む)をチラ見たところ、著者はアニメ業界の労働環境の悪さを非難する側(新人アニメーターの待遇を改善したい)のようなのですが、それがどうして”ある著名アニメ監督”の嘆きの言を借りて、京アニのせいで業界全体へシワ寄せがまわる、という京アニへの非難(・・・だよなぁ。私は非難と読む。)へと展開するのか、なぜ業界の環境がその水準へ移行することを願わないのか?

その某著名監督がどんなお方なのか・・・。スタッフの待遇の低さを憂う、思いやりのある方なのかもしれないが、監督には監督でテーマがあるでしょう。いい作品を作って、また監督を任される、監督を続けるというテーマが。そこで、”新作乱造で人手不足の中、京アニに匹敵する作品を作るために、腕のあるスタッフを酷使する”のは監督の業でもあるわけでしょう?論の根拠としてはピントがずれているというか、発言の中では”出資者””乱造”の方が問題だと思うんですけど。人殺しの狂人はしょうがない、京アニが悪いとしておきながら、この某監督が苦境について外部要因を嘆くのには寄り添うわけか。それが冷静な視点だと?

問題提起をしていることは受け取れるのですが、著者にはどんな理想があるのか、いまいち像を結んで見えてきません。単にアニメの話題性をメシのタネにしているわけでもあるまいし・・・。ことばにならない違和が残るのは、読者の方だよ。

少なくとも”賢人の投じる一石”というのは僭称じゃないかと思います。


この人が炎上させたらしい「男根」発言は存じなかったのですが、それは全くの間違いではないとは思います。機械類だったり、大男のパートナーだったり、剣や銃だったり。アニメや漫画が男性的記号の願望と共にあり、進んできた、そういう見方は否定するのが難しい(とは言っても否定できない、それすなわち肯定が成り立つのかは考えてみるべきでしょうね)。マラの代わりに銃→銃の代わりにトランペット。簡単な連想ゲームです。

疑問なのはこの人の語り口の方だ。ひとつのツイートの中で、(ポルノ視されても)だから恥ずかしいということではない、児童ポルノと同じ環境で進化したからだ、とフォローしておきながら、最後に「男根の代わりにでかい楽器と絡むこの構図はいったい。」と冷やかすという・・・。恥ずべきだといいたいんだろ?

そうでもありうる面を取り出して、それが本質であるかのように語る、それが賢さだと考えているように見受けられます。悪意はなかったというか(悪意がない方が始末が悪いが)、衒学欲だとは思いますが。何に火が付くのかも(当時のこの方の影響力は存じないが)わかりませんし。しかし、いわゆる萌えについて、性的媚び、セックスのメタファー、2015年になってそんな視点を面白がってるのは、突拍子の無さを斬新と錯誤した今更感が漂います。アニメを初めて見たというのでもあるまいし。むしろ、そういう方面での可能性が大いに試されたのは前世紀末あたりでは。それを見ている年齢だとは思うんですけど。(ただ、今注目されているものに持論の冷や水をぶっかけたいだけなのでは?)

潜在的にそういう意味を持つかもしれない記号、それは作り手と受け手の共犯関係で、気づかないように仕掛けることもできるし、受け手の意識で敢えてそれを強調して見ることも可能だ。そういう関係外の、それを楽しんでもいない外野が批判のために、「確かにそう見える事実」として一つの見方を取り出して、さも見過ごされてきた重大ごとのように(労働環境についてはその通りではあるかもしれないが)騒いでみせるのは迷惑な闖入で、バカバカしい※。いや、外野とか言ってすみません。でもアニメ好きなの?この人。西洋人の目にポルノに見えるから、それがなんだってんだ?東洋人の目にディズニーヒロインが児童ポルノに見える可能性は考えもしないと?あったとしても海の向こうのものは無辜だと?それこそ著者の”錦の旗”ではないのか。「俺たちは好きで海外や批判者にとってポルノに見える可能性のあるキャラを作っているわけじゃない。こうしないと共倒れしてしまうから皆でやっている。そこを平然と猥褻だと断定していくあいつらはいったい何のつもりなんだ」とご自身が言われる可能性については考えもしないらしい。せめて自分の言を一度自分にも適用してみるぐらいはしてみたらどうなんだ。

この方は「おたくカルチャー」と「日本芸術文化史」を分けている臭いがします。わたくしの認めた保護すべき本流文化と違って、その他は俗悪卑猥な、隠されるべきポルノに過ぎない、と。

※だいたい・・・いや上に書いた通りで、これは蛇足なんだけど、隠喩ってのは隠れた喩えだからそういうわけでしょ。よしんば本当にそういう意図を潜ませていたとしても、それを逆行させて、作り手の第一意図(例えば楽器)を無視・通過して、恣意的に見出した本質(例えば男根)の発見に喜ぶなんて、もうそんなので騒いでいる連中はガキ並みとしかいいようがない。茄子とかキュウリとかウインナーを、わーい、チンチンみたーい、とはしゃぐ子どもといっしょだ。象徴といっても、チンチナブルムでもあるまいし・・・。そんなもん似非心理学で語ればいっっっっっくらでも因果が作れますよね、無意識願望、深層心理の発露とか言ってさ。否、一般的心理分析ですらなく、こう見える可能性があるから、私にはこう見えるからという傲慢なこじつけで。人類普遍の要素にこじつけるのに理屈も科学も必要ありませんからね。くだらないから具体的な例示もしませんが。これは・・・チンチンの隠喩!とか、おっぱい!ケツ!なんて、ギャグ漫画でやる領域のことです。そんな笑い飛ばされるべき思考・・・たちの悪いことにこじつけの因果は思考者が執着を止めない限り完全な否定はできない・・・また人間にとっての接触的・生理的快感を生む形状と身体形状との関連・・・及び、事物への母性・父性あるいは性的象徴視もまた、容易に否定できるものではない・・・そのような発想を、楽しむでもなく、何をまじめくさった振りで恣意的に結論付けて冷やかし、安易に論うのか。ある関係性を疑う発想を持つとき、何もかもをそれにこじつけ関連視してしまう罠にハマっていやしないか、利益のために恣意的な印象付けをしてやいないか、という疑いを自身に向ける発想がない人間が賢人であろうはずはない

・・・いや・・・なにげないつぶやきで始まったであろうお祭り参加者をこうもけなすのも意地が悪いか。サブカルに限った話ではなくて、与えられればいつでも、そういう清く正しいものさしを担いで騒ぐ準備が出来てる人たちはいらっしゃる。

私がこの記事に気持ち悪く感じるのは、京アニをジョン・レノン化したマスコミ、その熱狂に参加した人々を、冷静でないと横目で見ながら、かつて自分が火元であった炎上沙汰を、己が文筆の箔付け、人心へ訴える力の証明であると得心してでもいるかのように、悠々と執筆の動機に含めている・・・そのように見えることです。
いっそのこと、男根的描写が狂人の男根本能的対外的攻撃性を高め、凶行に至らせたのだ。とでも結論してみてはどうかと思います。男根的な見方を今でも信じているのでしょうから。もっとあらゆる隠喩に噛みついてみたらどうなんでしょうねえ。

※どうせだからアニメ会社の名誉のためにいうなら、デフォルメ表現がときに性的特徴を増幅するように見え、またその嗜好へ訴えかけるものでありうる(そんなもんは人間の想像できるかぎり全てがそうだ。それがたとえ実写であろうと理想化・誇張された世界であることに変わりはない。)ことは、否定できるものではないだろうが、キャラクターの持つ楽器が、決定的に男根の代替物であり、つまりは真実の意図を隠して、あるいは気づかれないまま公然と披露されるポルノ画像であるというような見方は、全くもって単一的視点に基づいた妄想的こじつけにすぎない。その視点のレベルに合わせるなら、全ての棒状・円筒・円柱物などは決定的に男根的で、全ての半球部、曲面部、曲線部などは決定的に女体的でなくてなんだというのか?全ての口をつける部分は口による行為を暗示するか?全ての挿入機構は行為そのものの暗示なのか?(強調したが、これが決定的でなくそうありうるという可能性の問題であるならお話にならないはずだ。)
敢えて投影しなければ常人が気にしもしないモチーフの関連性など公然と披露したところでなんの問題でもありません。公共の場で楽器を持つなと?ウインナーを食うなと?腰を振る要素のあるダンスをするな?あるいは、往来には内部にセックス的な往復運動を内蔵した、外見的には男根あるいは女体の象徴、あるいは特徴を踏まえた物体が走行していますがそれが問題でしょうか?そのCMに少年少女が出演することは児童ポルノか?バカバカしい・・・。それを問題視するご意見が出てきたら賛同するのか、この著者は?だいたいがニンゲン自体、性的だと思えば性的でしょうに。もし著者がこの行をご覧になったときにバカバカしい想像の飛躍だと思うなら、幸いですけど。まあご自分の発信を正しいと思ってそうですので、むしろうなずいてくださるでしょうかね。(否定的に思っているのなら、そんな過去を実績だとして新たに”石を投げる”動機に出来るはずがないと、私の精神からすればそう思います。わざわざそんな件に言及しなければ、著者を知らない人からすれば、自称賢人による、例え下手で、突拍子もない分析、だけで済んだものを、自分でそれに個人的怨恨の疑いを持ち込んでいるのだから、浅はかと言いましょうか。それとも、世間を騒がせた以上、一応触れておかなければ不誠実だとでも思ったのでしょうか。汚れ役を引き受ける的な自己陶酔でしょうか。こうなると私の方が似非心理学めいてきたものですね。穴二つ、というやつで。)

あと、本当に例え話がお好きなようだが、理解を容易ではなくむしろ難解にする例えなんてのは、ひけらかしとごまかしの混合オナニーに過ぎない。なにが「作り話ゆえの説得力」か、ご自身が披露するのは終始「たとえ話ゆえの分かりづらさ」じゃないか文中でリンクしている別記事でブラックジャックのセリフを引用なんかしているのが本当にうすら寒いです。ヒーローがどうとか書いているがヒーローに自己投影して酔っているのはご自分ではなかろうか。
(何がうすら寒いかと言えば、BJならば人の命を問題にするであろう事件を、被害者側の責任に終始する態度に加えて、BJこそまさしく「みんな」のやり方に対する「逆走の人」であるからだ。その時のご都合でヒーローの口を借りモノを言う、これがごっこ遊びでなくて、なんなのか。)

ただザッと見た感じ、そっちの記事はまともに問題提起をしている風に見えました。それでも頭から京アニ作品の画像を出しているあたり、どうもこの人の目の敵らしい。敵対心は盲目でしょうか。実は上手くやって見せている京アニも、裏は真っ黒でした、そういう話の展開ならわかるのだが、そうでないあたり本当に悪意が透けて見える。この人にとっちゃ某弓道アニメの「はやけ」なんかホクホクもののメタファーだと思うのだが、どうなんでしょうね。なんか言及してるんでしょうかね。

私が個人的に京アニに思うのは・・・制作環境の実態がわからないので、受け手として見れば、その制作スタイルが、自社内模倣生産を繰り返すことで、劣化マンネリになりはしないかという懸念と、そうしてお家芸として認められたものの再生産以外に、アニメ会社の安定の道はないのかもしれない、ということです。

つうか・・・(私もしつこいなあ)・・・BJがお好きなようだけど、この人がするような見た目の論法で言えばペドじゃん、ピノコは。なに、好きな作家は例外?「古典」は例外?(海の向こうの無辜たる)ディズニーの形態描写を継いでいれば例外?それとも設定的には人格の年齢は大人だから例外?医療モノなら裸そのものが表されても例外?人工の身体なら例外?デフォルメなら例外?(これは勿論、非難したいときだけデフォルメされたものに対して恣意的に暗示を見出す態度への皮肉だ。)
好き嫌いの定規と善悪の定規を混用しているのではなかろうか?
古いものこそが優れていて、好きだ。という感じ方は私にはあります。けれど、古いものの権威を笠に着て新しいものの脚を引っ張るのは、いわゆる老害というやつです。古いもの好きが極まる先は、その正しさで後世のものは何でも斬れると思い込む安っぽい全能感だ。京アニの制作体制を非難するのも、アニメーターの待遇を憂いながらも、実のところアニメは古臭いスタイル=根性で作れとでも思ってるんじゃないかと邪推したくもなる。

しかしひねくれ者を名乗りながら、マジのねじくれたウルトラCを決めてみせるのは予告免罪ギャグなのか?確かにひねくれているという自己分析の確かさは認めますが、なんでそんな(賢人とか言って)自信満々なんだよ。その自信の割には、「京アニの独善姿勢はいかにして凶行を誘発したか?」というタイトルにはしないのだなあ。

つーか「涙とともに。」ってなんですか。いったいなんの感傷ですか。私の共感力ではとてもたどり着けない。
かわいそうに、杭を出すから打たれるんだよ、ぐっすん。ってことですか。いったいどんな目線から涙しているやら理解し難い。

もしかして、私は涙しているから、京アニ憎しだけで非難文を書いているわけではないんだよ、とそういう意図でしょうか?
そうだとしたらやっぱり自己免罪じゃないか。そんな文句ひとつが誠意の証明になるものか。

何年か前に、年末の団欒で視た気がするが、おバカな内容の動物番組がありました。
キリンを保護するために、つがいの生活場所を競争相手のいない島へ移すのです。そのうえ島へ殺虫剤を撒いて、住んでいた大型のヘビも捕殺する徹底ぶり。何がバカかって、「こんな危険なヘビがいたらキリンが食べられてしまいます」「かわいそう~」とか言ってレポの女優だかモデルだかが落涙しているさまを撮るわけ。ヘビに泣いてるんじゃないんだよ?キリンが食われるのを想像して泣いてんだ。
「お前の為」だと言って生の権利に干渉し、そのお膳立てで「邪魔なこいつらは殺しといてやるよ」。とんでもないことです。
これが、愛する者を護るため、または人類の生存に重ねて、生きるっていうのは命の上に成り立つんですね。とでも結んでいれば、横暴は同じでも誠意の偽りはありませんでした。ところがそのようなエゴイズム、恣意への相対視を欠き、自明の善だと思い込んでお涙頂戴をしている。
他者の尊厳よりもわたしの愛の方が重いってことをやってるだけなんですよ。今この瞬間のわたしの涙こそ絶対的に尊いのだと。
勿論、それを芯に共感を誘おうとしたのは番組です。構成やテロップで結論は変えられるのですから。でもそれをしなかったんだから偽善趣味にはぞっとしますね。とにかく胸糞悪かった。女の子はと言えば、ただ視野が狭く感じ安いだけの人で、ちょっと陶酔しちゃっただけなのでしょうが。(狙って、あるいは必要を感じ取ってやっていたなら一種の才能があろう)

“わたしの涙”なんてのは相対の対極にあるものです。年を経た今、涙もろい彼女が、動物愛護とはもしかして我々が気持ちよくなるための身勝手な趣味なんでしょうか、というところまで行き着いたかどうかはわからない。
が、この記事の著者は善・愛・正義の身勝手と視野狭窄が、互いに招き合い強化することについて考えたことはあるのであろうか?

少なくとも、最後に「涙」などという余計な演出的文句を追加してしまったことは、要領を得ない文章へのダメ押しであり、読後感の不愉快さへの総仕上げである。


やっぱり、流し見なんかするもんじゃありませんね。さしあたり、公平で、奇をてらわず、信用できる、と思える特定の人の言説に触れることです。知を求めながら精神の健康も保つにはこれしかない。

死への便乗を見たくないから今まで避けて来たのに、私としたことがとんだうっかり、気のゆるみだった。

常に思い出すべき教訓・・・派手、奇抜、刺激的、印象的、扇情的、話題性、時事、特に書き手の名前が初見である場合、この手の見出しには手を出さないのが無難。


[25/3/6改題と追記]
カップうどんのCMをアニメにしたところ、ご勝手な性的連想ゲームのプレイヤーが湧いておりましたとさ。

あー、日本の記号化力と連想力は素晴らしいなあ。

ところで「士」という漢字の成り立ちは男根の図案化らしいですが、これがおちんちんに見えて卑猥であるとか言って、ネガキャンでもなさったらどうかしら?

ああ、くだらない、くだらない、くだらない。

しかし、この話題のCM、商売人の正義ぶったこざかしい言いがかりは論外として、私はというと気に入りもしません。

ああいう表現を見て感覚的に気持ちよくはないです。というのは、何が何の陰喩だとかいう浅薄な連想ゲームは論外として、絵が「媚び」だからです。まあ、今はこういう画風が普通だよ、と言われれば、私の感性がそれに追いついていないだけなのだろうと思いますが。90年代絵柄だったら、私はホクホクしてただ賞賛するのみかもしれません。リアルタイムでどうだったかはともかく時間は信認を得ますから、昔のパロディとか無難ですし、よく目にしますよね、コマーシャルで。(こういった自分の感性との齟齬が気に入らないからとネガキャンを始めれば、私も↑↑↑の轍を踏むわけだ。)

勿論、2次元だろうが3次元だろうがコマーシャルには媚びる要素があります。なんだ、この媚びたギャルとスカしたイケメンは・・・という類のものは実写の広告でもしょっちゅうです。が、その仕組みからして誇張であるアニメ表現は媚びも大きく見えるものですし、その見えやすさゆえに標的にされるのでしょう。無理やりな言いがかりから表現と企業を守らねばならんのは賛同するとして、ああいうものが一般に流されることに何の違和感も感じないのならば、やっぱりカルチャーは変わったと感じます。オタク的なモノの市民権というか、そういうものが一般に広まって、もはや特別オタク的でもないというか。(オタク的、というのは、なんかそういうアニメっぽいものを愛好するっぽい、という、広義の意味です。)VチューバーをCMに起用するくらいですものね。つまりその宣伝・印象の効果を見込んで。

オタク的・・・とかつては見られたであろうもの・・・の受け入れの傾向が喜ばしいのかと言われると微妙で、受け入れがたい少数として排除されたくはないが、多数的なものの見方に味方につかれたら、飼いならされて弱っていくのではないかと。多数に向けて、似たようなものばかりになりはしまいかと。(そもそもアニメ形式のCMが嫌いなんですよ私。ナメられてる気がします。こういうので喜ぶんだろ?と。大抵は宮崎と新海に似せたような上辺の、工夫のない様式で。そういうのは権威を持ってきてるんですよ。そういう意味だと、ふつうにかわいい表現をしている件のCMは、私の画風の好みとは違えど、ターゲットを考えてやっているのではないかと。その点では軽薄な感はない。と思う。)

(受け入れとは言ったって、ほぼメディア上、Web上で感じるというレベルでの話であって、気軽にオープンに出来るものでもない。「アニメとか好きな人」というレッテルはリアル世界では変わらず。)

言いがかりは論外として、ならば”まともに”卑猥な表現や、残虐その他、公序良俗に反する表現(勿論、創作上の表現の話だ)とその愛好者はどう見られるでしょうか?

勿論、それらがそれらとして見られる以上は、CMのように一般に披露することは通常ありえず、もしそれを強行した場合には非難を受けることは当然なのですが、世の中にはわざわざ秘密の部屋から”公共の場で忌避されるべきもの”を探り出しては公衆に曝して喜ぶ輩がいるものです。

今回は、言いがかり商売屋の試みが、やはり一般的には不当だとして、一蹴されているようですけれど、それは多数側のボーダーラインが味方したまでのことではないかと。(それは勿論、受け入れられると踏まえた上でCMにしているのでしょうが)

卑劣な連中が、次はちょっとマイナーなところを探り出すかもしれません。そのとき、それが一般に理解され得る表現かどうか、というボーダーラインについては別問題であって、わざわざ一般ではないところのものを一般の尺度(というよりは、卑劣どもが自分の利益のために狙う尺度)に曝して排除しようとする行為、そのものが不当である、という見方を、多数側が絶対にしてくれるとは、思わないことです。

安穏としたときに不意をつかれるものではないでしょうか。多様性だとかいうものが本当に試されるのは、そのときです。

お互いに認めて干渉しないのが理想です。


政治系のサイトでこの話題を知ったんだけどね、マジで、私が例示したような、ただの妄想を根拠に批判を展開しちゃってる人(つーか新聞系列なんだが)が実際いるものでね。

カウンター回したくないからリンク貼りませんけど。

例えば清涼飲料のCMで女優が出るとしてね、「ふおお!○○たんが僕のおちんちんを咥えて、飲んでる!」

このレベルの妄想が根拠なわけね。はぁ?だよね。それってあなたの・・・ですよね、まさしく。もうこの流行語忘れたのか?”わたしたちの正義の妄想”ならいいわけ?なーぜかこれがアニメ批判(とかの、○○批判というジャンル化した批判様式)になると、通用すると思ってるわけだな。

よく恥ずかしくないよね・・・。別に、そういう妄想で盛り上がるのは勝手で、多様性なんだけどさ。それを根拠に人を陥れようとするわけですね、こいつらは。それどころか煽っておいて、その対策に専門家として自分を雇えと。恥ずかしくないのかと。

何を夢見てんでしょうねえ。情報番組に招かれて、「フーム、これはですね、つまり男性器と女性器を示していてですね、不適切であると・・・。」とかって解説でもしたいのでしょうか。

仮にそこまでいくと、もう、コントの落ちの、スケベネタじゃんね。

もしくは、「これはポリコレ的に・・・」「欧米か!」バシーン!

あーあ、多様性多様性。

下ネタで盛り上がるのに別の方法はないのかな?

いっそ、一人で盛り上がればいいっつうか、作品に出来ればなおいいよね。

性欲にさえ正義の箔付けを。なんてやり方は臭くてたまらない。

正義どころか目先の金に魂を売っているくせして。


この際某人は、自身が間接的発起人であり、「私の手柄だ」ということを各所で声高に表明してはどうかと思います。

少なくとも、そう認知されることに不服であることはないでしょう。