激しく違うよ。そうじゃないんだよ。
なんかもう典型的な、テクノロジーに踊らされてその導入を拘りと取り違えてしまった系のやつです。
下手なテクスチャライティングが描き込んだスキンに劣るが如く。
首から肩回りが非常にアンバランスなのだが、真っ先に目につくのはなんといっても顔である。
なんだこの・・・AI生成画をそのまま立体にしたような、頭蓋骨から味もへったくれも拭い去ったうえにキモチワルサだけ残すような所業は・・・。不快の谷どころか不快の極みだ。
みさきはまだ、何か光の計算方式を間違ってしまったのか?という程度に思えないこともないが、フィオナと・・・特にエリーゼが全然ダメだ。こりゃあ100%確信犯だ。
レンダリングのレベルが上がって顔の情報量が落ちるのは尋常じゃない。
このモデリングチームはブイブイのモデルだけを100時間網膜に焼き付けるがよいよ。
余所見なんかするな。下心を出すな。デザイン画をCGモデルにしたらなんか印象違いますね、っていう次元の話じゃないんだよ。
そこにモデルがあるだろうが??????
ブイブイのモデリングは本当に素晴らしい仕事をしている。
それを公式のスタッフがあんな風に変換してしまい、あんなキービジュアルを出すのに臆面もないのか?
それとも外注なのか?
自社スタッフの仕業だというなら、必ずしもスタッフが自社IPを愛しているとは限らないことの好例になるだろう。いや悪例か。
正直、プロのクリエイターとしての神経回路を疑うレベルで不快極まる。
技術屋はともかく、監督・管理する人間は、誰もストップをかけられるだけの判断力と気骨を持ち合わせちゃいないのか?
知的財産を自ら台無しにしてしまって・・・。
[11/2追記]
ディスっているだけでも始まらないので冷静に考えてみる。
結局は安易なリアリズムが問題であるという所見は変わらないのだが。
2次元絵描きが、絵にリアルを持ち込もうと試みるときの失敗と同じである。記号で構成された顔を、立体的で写実的な頭蓋骨の上に投影してしまうのだ。結果、パーツの位置関係が空想的な心地よさから遠ざかると同時に、現実的な立体配置から期待される情報を受け取れず、ひとつひとつの記号の解像度が上がろうと、むしろその間を埋めるものの不在で、のっぺりとした印象を与えるのだ。
頭蓋骨に限らず、身体のプロポーションを現実的にしたせいで、顔の造形に比べて首が寸詰まりで頭でっかち、そのくせ顔との比率で首の太さを考えたせいか、妙に首が細く、頭部が赤べこのように不安定だ。これも、プロポーションを捻ってみたはいいが、骨と筋肉の動きの再現まではできなかったせいだろう。頭部が旋回するとき、筋の連動によって首の見かけの太さが変わるものだが、見た目の解像度が要求する動きを入れられずにいるために情報の不整合が起こる。
情報はコントロールしなければならない。仮に現実を100として、50の再現度を目指すときは、全ての情報を50に揃えなければならない。平面の絵ならば、例えば2次元美少女の髪だけ執拗にリアルに描くなどといったフェチズムは、先ず種々の記号の組み合わせの絵としての前提を理解しつつ、それを部分的執着として認識できるゆえに、異なる情報深度で表された要素を個別に認識しながらも、印象を統合して見る、という器用なことを我々(少なくとも絵を見ることの慣れている人間)は出来るわけだが。
3DCGにおいては、アングルによって変化する情報に、受け手は印象を調整している余裕がない。結果、ある部分は情報は混んでいるが、ある部分の情報が欠けているとか、繋ぎの情報量が違うとかすると、不自然な物体だなあと感じるわけだ。これが現実なら、正面や横顔で印象が違っても、厳然とした立体が現に目の前にあるわけだから、つじつまも合うものだが。
ブイブイのモデルが骨と筋を正確に再現しているわけではないが、平面情報・立体造形・テクスチャ・ライティングまで全ての面でバランスが取れているために、多少の不自然さは気になるものではない。
しかし、プリズムはどうだ。好きな曲を全くアンコントロールな楽団の演奏で聞いてでもいるようだ。そこにあるべきバランスが欠けているのが不快でしょうがない。ここをリアルに出来るから、リアルにしてみよう、なんてことはしてはいけないんだよ。言い換えれば、他の全てをそのレベルに引き上げることをしないのだから、絶対にそういう横着は結果として出てくる。いっそ一から作れば余程マシなものが出来ただろう。
あと、顔についてわかりやすいところでは、漫画的な平行二重を、目頭から発生するとか、眉下のひさしにまぶたが食い込んで発生するとかの、現実的な見た目へと調整しているようだが、これも浅はかなことで、そもそもリアルの人物じゃないんだから、そんな小手先の理屈を持ち込んでも。肉と皮の関係を作ろうとすれば、笑いジワが発生しないのがおかしいんだよね。リアルじゃないと割り切った上で、どう自然に見せるか、バランスなんですよ。繰り返すけど、ただできるからやってみた、なんてのはサボってるのと同じなんですよ。
何の配慮か理念か知らないが、昨今の、虚構の人物造形に蔓延る、ちょっとリアルにしてみよう運動は、ホントーにやめて欲しい。むしろ、虚構を嫌わせて現実に目を向けさせようという啓蒙なのか?
まあ、ななみの造形は、最後につくったのか、まだ、マシ。変にブイブイのモデルを引きずっていないで、一番自然に見える。やるんなら、こういう情報量に相応しい造形を、一から作るべきだった。ギャルゲーというのは、見た目を入れる以上は見た目が全てなのだから。
[11/21追記]
我ながら下品な非難だったと反省しています。私にそこまで言える資格があるのかと。
挑戦が無ければブレイクスルーはありませんから、新しい技術への取り組みは評価されてよいものです。
ただ、ですよ。単に私の美的感覚、好みの問題であるということにしたくはないのです。
難癖をつけるのは、前提としてそこに期待があるからです。何への期待か、と言いますと、架空の美女が好きなのです。3DCGで出来た女の子ですね。そのモデリングの方向性も各社様々です。その中でも、DOAXVVの造形が好きなのです。現実的過ぎず、人形的過ぎず、写実的過ぎず、バタ臭くなく・・・。日本が打ち出す(しかし、必ずしも「日本人的」ではない)ファンタジーな美少女像として。
そのような優れたバランス感覚を持っていながら、そこらに転がっている機械生成画に、それらが参照する画像情報(写真や、写真のようにリアルだがCGチックな絵)にテクノロジーの面から寄って行ってしまっている結果としてビジュアルが近づいてしまう。あるいは流行(技術の新旧は流行とは異なるが、それを利用する結果に牽引されて流行りはある。)に流されての美的感覚の麻痺。
これは人間の技を信じる者からすると嘆かわしいことで、人間が手で行う限りは2つと同じものは出来ないものを、最新の機械的応答に任せれば、”最新の結果”として横一列に並ぶことはほとんど当然のことです。
進歩の停滞と効率化の果てに何もかも似通ったものになりつつある昨今、効率以外の感覚にどれだけ魂を注げるか・・・。利益を求める以上は難しいことだとは思いますが、私は感覚的なものに期待するのです。例えば日本の携帯電話を指してガラパゴス化という言葉がありますが、その正の側面には拘りがあります。効率の面からそれらを捨てて、世界規格を後追いし、使い勝手はユーザーに丸投げ、その結果が、先端でもなければ独自でもない、「昔は良かった」と比べて期待を損ないはしても、一定の慰めの満足は得られる程度のモノに終始する。そんな流れは嫌です。
現実的な問題としてデータ・ハウツー・テクノロジーで導かれる模範解答に拠って生存せざるを得ないにしても、どこかで・・・。
「現実が一番のリアリティを持つ」などという興醒めな結論を否定したい。