アニメの見た目

余談が長くなりすぎたので前の記事から分離。

アニメ映画界の諸監督、このところ焼き直しに走ってるように見えます。それで私は思うんですけど、アニメ映画の魅力って、監督の思想とか話展開とかよりも、まずセル画のビジュアルじゃないかと。

過去のヒット作をCGで焼き直して、おもしろいでしょうか?どうも手を抜くための手段以上のモノには、私には見えてこない。(上手に手を抜いた分の力を他に回して見せ場を作り、ひいては全体の質を上げている、と思うのが「進撃の巨人」。表情変化に乏しい銘有り巨人はCGでアクションさせ(このCGも粗い主線に細かいタッチが入るなど相当凝ったものなんだけど)、感情演技を見せるときは中身の人を映す合理性。個性豊かな一般巨人は作画でインパクトを作っている。逆に、下手な置換をしているのが合戦ものとロボットものだと思います。兵士やロボは舞台装置ではなく役者であるのに、無個性均質なCG人形の取っ組み合いには血が通わない。鎧やメカニカル部分など、元々の硬質・均質パーツはCGにしちゃっていいと思う。大人数の合戦シーンは動く絵が難しければ、SE付き1枚絵スクロールの手がありますが、古くさい、と言われるのでしょう。CG合戦の、埴輪の列が素振りしてるような安っぽさに比べれば断然マシでしょうに。)

作家性を出したい監督みたいな人がそういうのを作品に使っても・・・セルの見た目には拘るのに、CGはCGでいいや。って、頓着してないのかなーと不思議なんですよ。特に庵野監督なんて映像にしか興味なさそうなのに。

一番有名どころなので、エヴァなんですけど、あの作品はセルの質が骨子だったと・・・作画を楽しむ作品だと思ったのです(ファンじゃないのでそう思うだけな気もしますが)。で、あのエヴァのデザインをトゥーンCGで描いて魅力あるんですかって・・・セルで見るからすげぇーって思うのじゃなかったのかなーと。ファンの人と話すことないのでわかりませんが。シンエヴァはMMDで作ってるのかと思いました。シンライダーの感想にも書いたのですが、ああいうチープさって、わざとなのでしょうか?「敢えて虚構であることを示すメタ視点がどうたら・・・枠組みを越えて俯瞰することで形而上視点に到達する・・・」みたいな深そうな考えの。

新海さんはデジタルセル画で続けて欲しいですね。観てないんですけど。しかも観る前からあの色使いとかで嫌いなんですけど

話が面白いとは言えなくても(イラつくレベルの話は無理ですが)、私はビジュアルで満足できればいい、というところがあります(そういう見方をする人間のせいで、上辺だけとか、マニア向けのコアなとこで満足すればいいみたいな態度のものが増えてるんじゃないか??)。

日本の新作アニメ映画のジブリ顔から抜け出せない感じの絵を見るとつまらないし。かといって半端に萌え臭い部分が残っていると、なんか却って恥ずかしくなる。一般受けとアニメファン受けを両立しようというディレクションなのか、オタクアニメじゃないですよという言い訳なのか、そんな雑念が入ったものは、見る分には気持ちよくないんじゃないかなぁって気がするように思います。これは完全な主観ですが。(見もしない作品の上辺をあれこれ言うのもイヤミな感じですね。・・・そもそも子ども・ファミリーを越えて一般層が普通にアニメ映画見るようになった変化を抜きに語っちゃまずいか。新海作品のターゲット層ってどこ?子ども・ファミリーでも大きいお友達でもないよね。10代後半から20代の、しかも女性?だったら元から俺の埒外だったか。例えば最近の、スラムダンクのCG映画、あれは多分お姉さま向け作品であろうから、作画ファンにとっては完全に興味の範囲外。)

劇場版エスカフローネなんかは、話が読み切り少女漫画みたいにフワっと(しかもエヴァ的セカイに逆行した上にレダ+アキラ+もののけ+ラピュタみたいな詰め込み様)していますが、絵が好きだし、佐野メカが美しいので見返してます(特にドラゴンエスカ。TV版でもかっこよかったけど、劇場版のは見るとため息どころか私は満面の笑みになっちゃう)。ただ、画的にはそんなに良くない作品だと思う。基本的に一枚絵の広角画で、レイヤー構造になってないので奥行きがない。パース空間を行ったり来たり動かすのって、それをできるアニメーターの技術の高さの割りに、映像にはひねりがない。と思う。たまにユーチューブの東映時代劇チャンネルを見てるのですが、その古い時代劇の映像にかなり近いです(ワザとかもしれないが)。好きなんだけど惜しい。

「映画的」な画がアニメ全般の正解だとは思いませんが、アニメ映画は映画的な画作りの方がいい絵に見えると思うんです。アクションエンタメでは近いカメラでぐりんぐりん動く方が派手に見えるでしょうけど、動きのないシーンで広角って間が抜けて見えます。こういう場合、押井監督が比較になっちゃいますね・・・殆ど動かないのに緊張感があるシーンを作りますよね。それでやっぱりセル作品の方が空気感がある。あのボヤー~ってしてる光も好き。この加工大盛り時代に、なんでセルみたいなフィルター使わないのかなぁ。劇場版Zガンダムのエージング処理が好きなのですが(これはセルのレイヤー再現とはまた違うと思いますが)Ⅲに至っては普通にキレイな映像になってる気がするのは気のせいでしょうか?やれもっと汚せ!!

勿論なんにでもじゃなくて、目的に応じた技術が使い分けられるべきだと思いますけど、特にロボアニメの静止画が気が抜けて見えるんですよね。キレイすぎて。

昨今CG技術がまるで実写の映像に見える程の進化をしていますが、セルアニメだって言うなれば実写作品で、その光の効果は再現するに値するものだと思うんだけどな。


余談

アニメの話ではないのですが、映画「チアーズ!」(原題:「Bring It On」 =かかってこい!(辞書に載ってない。俗語辞典にも。ま、80年のスラング辞典って80年のものにしか使えないよな。))を観ました。

同じ監督の「アントマン」のギャグのリズムが面白かったので、半分はそれに期待して、半分はチアリーダー観て目の保養に(変態)。

冒頭から期待通りで、ノリのいい音楽に乗せて滑稽なシーンを作るのが上手い。

お話は、高校チア大会連続全米チャンプのチームの新主将に就任した女の子が、チームの独創的と評される振り付けが、実は以前から他校のパクリだったことを知ってしまうが、もう大会まで時間がない。盗んだ振り付けは、実力充分なのに未だ決勝リーグに出られずにいる黒人校のもの。そのリズムセンスは、白人には思いつけない、と彼女らが誇りを持っているものだった。どうせ相手は決勝に出たことないんだし、黙ってこの振り付けを続けていれば順当に勝てるだろうが・・・。というものです。

結局、オリジナル振り付けを皆で頑張って開発するのですが、皆の努力で勝つぞーっていう話じゃなくて、主将の子が、前主将や”振り付けを続ける派”のメンバーに降りろと言われるのですが、私は降りない、いまこそ真の独創的チアチームになろうよ、と決断するのが要点で、面白いところだと思います。常勝チームを継いだからには勝たなきゃいけない責任があり、でも、勉強そっちのけでスパルタ式に打ち込んできた、「これぞ我がチーム」という大好きなものが、偽りだったショック。試合の勝敗じゃなくて、自己実現の勝負ですね。結果は2位で、優勝は例の相手チームだったのですが、チーム一丸で、真に我々らしいことができたね、という、パクられた憎しみ、盗んだ罪悪感、傷ついた誇りを清算して、健闘をたたえ合う。この爽やかな終わり方がいい。

下ネタがアメリカ式なので日本のファミリーにはおすすめしません。これも、本国ではどこ層向けなんだろうか・・・。

あとミッシー萌え。クールな子がチアのノリに馴染んできて弾んだ笑顔をしてみせるのってたまらんね。