キャラ萌えしか知らぬ

ネットの記事が面白かったので、與那覇さんの本をポチりました。まだ、届いてないのですけど。

今の私にとって御津羽先生は知へと繋がる扉のような方であります。ありがたい。

で、まあ、俺もキャラ萌えで満腹層だわ。と。

アニメキャラ(広義。萌えキャラに限らず、例えばモビルスーツは俺にとってはキャラ。)の2次創作絵など描いてる時点でそうなのですが。

ミリタリーだと、光人社NFは読んでも、戦史の勉強はしませんし。

ザッと巡ってみた與那覇さんの記事に書かれていましたが、ある事象単体ではなく包括的に、流れで物事を見ることができる、というのは稀有な能力なのだと思います。

少なくとも、そのような視点を持たずして良しとするモノが、世には溢れているわけですし、ユーザーはそれを受け入れている。

私は、インスタントなものばかりで、つまらねえな、とは思っても、それが悪いとまでは言い切れない。

なぜなら、もっと上質な味を知らないから。もしくは、食ったことがあっても舌が忘れたから。

でありますから、もっと美味いモノを食って育った世代の方が羨ましくも、その(今では)特異な能力を持つがゆえの懊悩っぷりを見るに、そう呑気に憧れられるものでもないのか、という気がします。

舌が痩せている方が、幸福なのか。ジャンクな味に飽きもせず、もはや中毒であるにしても、その所見は特異能力者だけが持てるものだ。

192kbps以上のビットレートの違いがわからないようなものか。なんかもっと上の体験があるらしいけど。(上記能力者が一般人にとっては特異なのは、オーディオマニアがそうでない者に特異に見えるのと同じでありましょう。)

アニメやゲームについての話ですと、名前借りや記号化を憂う段階ではないというか・・・。(0年から18年でも24年でもまあ止まらないでしょう。何か流れを変えるイベントがない限り。とは言え、何か・・・構造的に質が高い、どころか、鮮烈な問題提起である作品があったとしても、受け手は、自分の萌えられる部分だけを選び取って楽しんできたのではありませんか?私はそうです。)

ブイチューバーの増加に顕著であって、もはやアニメゲーム等の形態をとる必要などなかったことにユーザーが気づいたということでしょう。元は別媒体のキャラがVに参入してもいますから。

萌えコンテンツとしてはかなり極まった段階に来たのではないですか。あれは必要充分以外の「無駄なもの」を切り落とした結果です。聖遺物はリアルタイムに通販で買えて、最低単位のキャラが提示してあれば拡張はユーザーの自由。

Vを貶すつもりで言うのではなく、2次元への需要に対して限りなく近い正解の形態だと思うのです。

ネット声優のファンとしては・・・ネット声優の方々はV化以前から、サイトに2次元絵の肖像を載せていますから、聴いている分にはさして印象の変わることはないのですが。

と言うと、なんか弁解くせえのですが、Vの方々は、声萌え的には魅力的で、いつも何かにハマっていたい俺としてはあの人たちを追う道もアリなのですが、他に向けるエネルギーを失うのが目に見えるし、露骨に言えば自慰の道具としては「ナマ」過ぎるのです。「ナマ」から逃げた結果が萌え豚なのですから。性の道具は無人格でなければならないのです。それは前にも書きました。)

萌えなイメージと声があればいい、というのは萌え方面においては私の率直な気持ち的ではあります。

各種メディアの形態は、キャラクタープロモーションの各種テンプレートであって、そこではストーリーとは、香りづけ程度のプロフィールみたいなものの機能さえあればよし。

ん~・・・。声優リストで客を釣るコンテンツが、別の観点から言って残念なのは、往年の知っている声は十分予想できるから興味が湧かないってことで、その点、DOAXVVは、最近のアニメを観ていない私にとっては、新しい声との嬉しい出会いではありました。(結局声じゃん)(ついでに言うと、生理的に超ストライクなのが、艦これのあけぼの。いくらでもブヒブヒ・ウホウホできるわけなんですが・・・。)(また、ある作品で好きなキャラのその声が好きなのであって、人気声優の名前をバンバン出しときゃなんでも受ける、てのはどっちが主だかわからんね。声優の名前は従だと思うのですが。)

話がそれました・・・。

問題を感じない者にとってはそれは問題ではない、ということですね。

何が問題かという見方が、あるとすれば現状のベストよりも下の想定であって、品質を満たさないとか、バグのようなものに対してで、上があるという想定は・・・むしろ「ストーリーにこだわる人」の方が純化へ逆行するバグだったのではないか。後に残ったモノの方が洗練されて実用的で正しいと考えるなら。

私は、問題かもなぁと思いかけても、向き合うとこまで行かない。もっと高い場所にある理想を知る(あるいは想定できる)故に、落ちていく現状とのギャップに心を痛めている方はまじめな人だ。

私は一段低い所での、表面的な指摘ならできる・・・。キャラクター性を記号化する部分だ。

感情表現の幅が5段階しかないデザインでシーンが作れるのかと。でも上述のように、プロフィールに過ぎないストーリーはキャラクターにとっての「従」であって「主」ではない。だから私の考えは的外れです。おそらく、ユーザーは好きなように脳内変換するのだと思うし。

書いていて思い出したんだけど、キャラが主体であればこそ、既存のキャラクターを別作品の世界や、「異世界転生もの」のテンプレート世界へ引っ張って来る、という荒技が成立してしまうのです。転移先よりも、転移元のキャラクター設定の方が魅力がある(往年の人気作など)場合は、改変してしまった方が面白い、ということも起きうる。誰もが話の筋を知っている舞台で、さあ今日の役者は誰だ。あの人気キャラか。ワ~パチパチ。みたいな・・・これ、カッコで言う話じゃない、重大事だと思うのですがタイミングを逸しました。)

あとは、ハンディカメラで撮ったようなドラマとか・・・私は、基本的にビジュアルで満足したい人間なのですが、どうもそういう需要は一般にはないらしく、舞台とキャラが認知できればそれでいいのか?

また逸れてる。

逸れる原因はわかりますが。だって知らないんだから差を語ることができない。

ストーリ―重視のゲームって、なに?

少ないゲーム経験からすれば、「ゼノギアス」は好きなのですが、一本道のストーリーを、ゲームというメディアで公開しているものであり、プレイ経験は人生経験ではなく、プレイヤーは金曜ロードショーの映写機おじさんのような存在だ。と思っています。

ロールプレイング、キャラビルド、あるいはマルチエンディング、というものに縁がない。

先生のリストに挙げられているものをやればわかるのだろうと思うのですが、ビジュアルに興味が湧かないと手を出さないもので・・・。教養のためにやる気は起きないし。

逆?に・・・「宇宙の戦士」の加藤さんのパワードスーツを、不遜なことですが、読んで浮かぶのはこれじゃないなぁ、と思ったり・・・。着地点がわからなくなってきたぞ・・・。

主体的に物語れるゲーム、というものは殆ど未知の概念ですが(むしろ、そんな膨大な手間がかかりそうなものを作る人がいた、作られた時代があったことが驚きだ)、ストーリーのよくできたアニメ・ラノベって、むしろ必要なんですか?

過去の名作小説を読めばいいじゃないか・・・。というのは暴論でしょうか。

勿論、暴論だ。けれど、未来に欲されないものは、それを育てる土壌も当然、作られない。それは若人が経由する文化には必要なく、過去を知る者は、思い出で慰めるのみ。大衆がエッセンスと信じるもの以外を切り落とした、必要十分萌えコンテンツと、老人向け慰めのリバイバルコンテンツ(それさえ萌え化した)とが、作られていくのでしょう。

オタクは蒐集家となり、集めた聖遺物の数と、知っているトリビアの数を誇る。てのはもう、危惧されていましたが・・・。

私は、考える頭は人任せで、託宣を得ているだけで、ダメダメだ。妄信はしていないつもりですが・・・。