キャラ萌えしか知らぬ


やっぱり、エヴァが原因なのでは?という陰謀論めいた説を唱えてみる。(アニメ史含む歴史に疎い故にビッグネームへ早合点した、トンデモ+思考停止論という意味です)

メカで楽しませ、エロに萌えさせ、グロで目を引き、衒学的仄めかしで考察派を酔わせ、自己憐憫にぼっちを酔わせ。

キャラ商売時代の、キャラプロデュースのための媒体としての作品、という話を前の文でしていますが、要素を見せるための作品作りは、萌えオタ向けに限った話ではないと思います。フェチとかマニアと呼ばれるものがソレです。

見せたいものを見せようとする制作姿勢が、悪いだなんて言うつもりはありません。(そういう欲は「すべからく」あるものです。)

けれど、(表面上、)需要と供給が成立してるんだから、いいじゃないか、って開き直られてもな・・・という感じで。

そのピンポイントな取引に加われなかった人間は寂しいんです。まあそういう人間はお呼びじゃないんですが、

そこを掬い取ろうと欲を出すと・・・「点の集合」か「デカい点」になるのでしょう。

フェチズムの集合体もしくは広範な単一属性。

前者が「ツインテニーソ絶対領域萌え袖ウサミミパンチラブラチラ胸と腿にホクロがあるJK」、後者が「もう制服美少女ならなんでもいいんでしょ?」と例えればいいでしょうか?(例えが悪い)

そういうのが、安易で、露骨になってくると、媚び、だとかいうわけですね。

その点、エヴァは大変上手い媚びだと私は思うんですけど。

それで・・・度々、当ブログでは庵野監督関連のものにディスりに見えるような文章を書いているので、一度、態度を表明しておかないと、卑怯な感があるのでこの際は書くのですが、

私は、エヴァについては、メカアクションの質とか、デザインセンスとかの、「モノ」の面ではマジで卓抜していると思いますけど(あとやっぱりセルがいいよね。背景の、あの夜のビル街の割り切った描画も素晴らしい。)、描かれる「コト」に関しては、、、エヴァ評の典型通り、魅する期待を引き延ばしたマヤカシと、実験的前衛表現の混ぜ物だとしか思っていません。

(そうは言っても、アニメはアニメーション技術だけで楽しむことができます。が、実写、それもVFXとなると、低予算だけど技術屋の根性で素晴らしい出来栄え、てことにはならないと思うんです[最新ゲームのデモの方が見てるだけなら上な可能性]。フルCGならば外連味があっても[←それはつまりアニメーションなのだが]、カメラ使ってる限り、撮影が上手くないと・・・でそれは多分、庵野さんのディレクションは特別に上手いわけではないんじゃないかなぁと私は思うんですが、監督の特撮への懐古趣味を邪推すると、ワザとアルカイックにしてるって気もします。それなら、実はコアな層を狙っていて、私がそこから外れてるってこと、なのでしょう。)

それに、平素から萌えエロにハァハァしてる私も・・・それは「綾波系」とか「アスカ系」でもあるハズなのに、本家「綾波」と「アスカ」は受け付けないんですよね。つーかエヴァのキャラ全般ですが。(考えてみれば、カヲルくんが男なのは、空からやってきてなんか分からんけど好いてきて意味深なことばっか言ってて健気に死んじゃう”女”だったら、余りにヒロインとして強すぎるから、なのかも?)

しかつめらしい顔をしておいて、萌えもしっかり挟んどいてやるからな、そら、ここだぜ?って見せられるともーたまんないんですよ。恥ずかしくって。

ドロップ缶ちらつかされてもね、いつも待ちわびてるわけじゃないんです。

そーいう安い懐柔は気にならないのかなぁ、アニメファン。飢えてると思われてない?

飴が欲しけりゃ買って食いますよって。

違う、不意に見せられるのがいいんだ、ってーなら、それはわかりますが・・・。チラリを見に行ってんすか?て話で。そういう合意が両者にあって、待ってました!ってのが、ファンサービスなんですかね。

(そんな合意ラッキースケベ構造を逆転させて成功したのが、「まどマギ」と思います。ただ、あれは一度成功するきりの秘策だと思っていて、後から「まどマギっぽい」が量産されることになりましたが・・・。それも枠組みが新しく見えているだけで構造は「エヴァっぽい」から抜けていないと思うのです。)

あと、「大人」が存在しないのが・・・少年少女と、少年少女のままだった人、しか居なかった。

私はですけど、フィクションには、現実を越えたものを期待しているので、現実の延長線上のイザコザ、聞いたような幻滅をそのまま持ってくるようなリアル、は面白いとは私は思わないわけで、うーん、中身の方には熱狂できないかな・・・。

そのエヴァのチルドレンよりかは、直球の(サエない人への慰めである)深夜ラノベアニメ展開の方が、いくら萌え化と言われようとも純粋な分、私は好きです。きっぱり初めからストーリーが(添え物程度にしか)無いならそれでいい。慰めの役割的には十分さ。

少なくとも、ただの萌えや、笑いなら私には役に立つので。


で結局、エヴァーに対して気に入らない感情があるんだなぁ俺。

作品自体よりも、あの作品に(ガチで)感化されちゃう人々の存在とか、文化的ステータスを持ち上げるメディアが、奇妙で、胡散臭く、だから、作品も認めたくない、というところだと思います。

あれが僕らの、精神基盤になるでしょうか?日本よ。

恥の告白ついでに言ってしまえば、万一同じように感化されて同化してしまったらなけなしのプライドが傷つくので、ガイナ関係の作品は死ぬまで見ないだろなーと思っています。エヴァも新旧の劇場版は観たけど、TVの方は通しでは見てないし。バカだと笑ってください。

そのように一度拗れると、名作と名高いネオアミスとナディアは、ビジュアル見るだけで、もう、おっさんの若作り願望としか思えなくて・・・。(創作物についての願望云々といった分析がいかに無意味で、単に恣意的な悪口に過ぎないかは、承知しているつもりです。)

トップとかラガンは、面白いんだろうなぁ。みんな大好きなことをやってんだから絶対面白いんだろうけども。裏返せば、敢えてそれで摂取することもないかな・・・って。

流石に、というか絶対に勘違いして欲しくないのだけど、愛好家の皆さんの面前や、そういう方の集まり、掲示板、アカウントに、突撃して自論ぶっこんで貶す、みたいなことは、金輪際やったことありません。するつもりもありません。

SNSやってたときも書いたことないです。

こうして拠点でイキってるだけなんで、ガチファンの人、許して。(個人ブログの”吐き溜め”としての機能をひしひしと感じます。)

かわいそうなヤツだと笑えばいいと思う。

いやむしろ、鮮やかに私の意固地と先入観を打ち砕いて、鑑賞会にでも連れて行って欲しいよ。

個人的には、エヴァの方法論への、エンタメ的解答として「聖剣使いの禁呪詠唱」を挙げておきます。(半分は冗談、しかし石川界人さんの声の良さは冗談ではないね)