エーアイとか

御津羽先生が生成AIで遊んでらして、その出来た絵に笑っちゃったよ。

なんですか、そのグリップが付いた斧は。前衛的すぎる。銃剣か?トンファーの親戚か?先端を射出できたら、むしろかっこいいんだが(と、見せかけて斧の重心を全く活かしていない)。

されど、”誰かの”イメージを形にする作業はAIで事足りるでしょうね。むしろ、人の方から寄ろうとしている気もします。広告で目にした新規ソシャゲは、まんまそんな感じの絵でした(ほんとにAIなのかもしれんが)。

以前も書いた気がしますが、AI生成はモーフィングで顔を合成するやつの上位・拡大版だと思うんですよ。

キャラクターイラストに関しては全く模範解答的で、(加筆して細部を整合させてやれば)悪い所がない。

情景(状況)画でも、「フォトバッシュ」という個人的には嫌いな創作法の流れがありましたけど、もう完全に機械任せで出来ちゃうんだからそれでいいですよね。

でありますから、敢えて描く行為を行うなら、”自分の”イメージを形にすることを売らなきゃいかんのでしょうね。

マイナーなイメージはまだAIには代わられないとは思いますが。あと、恒常性のあるデザイン作業。例えば、ロボットの三面図の製作は、まだ出来ないんじゃないか・・・つーわけで私はロボのアングルを描いていこうと思いますが。

パッケージ・アートなんかも、高荷さんの全仕事を取り込んで、3D開発モデルでも見せれば、終わりっちゅー話に、なってしまうんならつまらないなぁ・・・。ロボはともかく艦船なんかそれでいけそうですもん。

コードギアス(CLAMP)みたいな異様に手足が長いデザインは、模範解答の出力からは産まれなさそうですから、今見返すと魅力的なのかも。


それと、アイパッドの件はP君がプチ炎上中だよと教えてくれたのですけど、日本でウケないのは、あのような演出を見慣れないからでしょう。

個人的には面白いとは思えませんでした。私がアップルユーザーでないのは関係あるでしょうか。

しかし、コマーシャルとかプロモなんてものは、(ときにムカつくほど)面白くないものがありふれています。珍しくもない。ワザワザ批難するほどのことでもなくても、ケチのつけようは、漠然とした基準でモノを言えばいくらでもある。

特別に問題があるから関心を買うのか、多くの人が関心を持つから問題が”ありそう”なのか、ブームはよくわかりません。

ただ、ネットの”批難民”の方々には、香り高い正義のスクラムを組みたい欲求に基づく潔癖さ、があるんじゃないかと思います。後ろ暗い所のないお祭りは、安心して参加できますから。似非精神分析クサいですが・・・。本気でそこまで怒ってるわけでもないんじゃないか。

考えてみれば、映画の撮影でどれだけモノがぶっ壊れようが気にならないのに、おかしいことですね。

古い道具たちの機能を凝縮させたってメッセージが、脳に直結しなかったんでしょうか。そう考えなきゃ理解できない、そう思考を挟んだら、不条理になっちゃった。

まんざら、一部の潔癖なひとたちの一斉蜂起に過ぎないことでもなく、何か文化的な共感があって、一般層を巻き込んだ祭りになった、そんな風に思います。(その炎上っぷりは見てねえんだけどさ・・・SNSのそういうとこ見たくないから。だから完全に憶測。)

通販番組みたいに、気のいいジョンだかジェームズだかジョニーが、横から新型パッドを持ってプレス機の前に歩いてきて、「かさばる道具たちにはもうおさらば!今日からはこいつがその代わりってワケさっ(アメリカンスマイル)」みたいなやつなら、どうだったかな。・・・ダメかな。

なにか人間的なものの表示があるのとないのじゃ、変わると思うんですけど。

とはいえ、要因はもっと単純に、グロ・ゴアへの抵抗だろうと思う。”なんの脈絡もなく”ジェノサイバー見せられたようなものでは?(血がブシャァーー!!目玉ぶっ飛びーーー!!)やっぱり慣れ・・・文化の違いか。欧米がグロ好きってのは偏見?俺はジェノサイバーは好きですが、”必要ない”と思っちゃった。今回みたいなコマーシャルでそういう演出は。私は、まず「うわグロッ!!」と思いました。もったいないとか、リスペクトが無いとかは、感じなかった。不快感を表そうとすればそう言えないこともないが。

予想外に炎上商法になってしまった結果はどうなるでしょう。これでむしろ新規アップルユーザー獲得という結果が出たら面白いのですが。


そういえばフォールアウト(未プレイ)の実写ドラマを観ましたが、突き抜けてて面白かったです。

プロローグはゾッとしました。例えばああいう演出効果を、不謹慎だとか叩いてもいいことはありませんね。いいことした気になるのでしょうけど。

あと、メイキング観て、パワーアーマーを実際に着用していたのが仰天でした。グールも鼻以外はメイクで出来てて、古き良き・・・を感じました。実在感だすなら”実物”だよね。ショップ街も、入り口からして、マジであんなガラクタが積んであって、でっかいパイプが通ってるんだなと。びっくりだ。

で、こういうよくできたムービー観ると、デジタルエンタメは、映画か。ゲームか。という問いが、映画でいいんじゃね?と思うと同時に、これが実際にゲームで、追体験ではなくオリジナルのプレイが出来るんなら面白いだろうな、とも思いました。未プレイなもんで・・・へへ・・・へへ・・・。

フォールアウトのような、土台を提供するゲームで、そのワンプレイの可能性を描くような映像作品化・・・テーブルトークでのリプレイのような?(知ったか、エアプです。間違ってたら超すみません。)・・・であれば共存し、お互いを引き立てる関係にもなれるのかな、という気がします。

それが日本で出来るかは・・・。


先日、「フルメタル・ジャケット」を初めて観たときも、後半の、よくもあれだけの廃墟群を用意したものだと。これは今だから驚くポイントでしょうか。やっぱり、実在感はデジタルで済んじゃうよねーってわけでもないですね。

あと、過度にウェットで長いお説教シーンは映像的に(表現上の説明クサさでも)野暮ってことがわかります。そういうのがない作品を観ると。

あんまりしつこく書くと、わざわざ邦画を落とす必要あんのか、この海外かぶれがっ、と言われそうですけど、長尺の講釈シーンなどは、むしろ間を持たせるだけの、画と芝居の上手さが要求されるもんだと思います。映画で感情の読み聞かせなんかされて楽しいですか?それよりも情感で観せて欲しいです。

なんでも健さんみたいなキャラにしろってことではないが、丁度よりも少し喋らせすぎなんです。丁寧すぎるとも言えます。

言葉は少し足りないくらいがいいんじゃないか。

「加藤隼戦闘隊」で、”奥田”中尉の死について、「立派な男だ。惜しいことをしたな。」ただそれだけの言葉と、少佐の眼差しで成立しているあのシーンが、私は好きです。

反対に、冗長にしようと思えば、例えばジョーカーが、

「なぁ、考え直せよ。あれだけ苦労して、でも最後までやり遂げたじゃないかお前は。射撃成績は、お前が一番だったよな、レナード。自分を誇れよ。今まで、何のために俺たち、訓練してきたんだ?それとも、あの夜のことか・・・。悪いことをしたよ、悪かった!俺たちの誰も忘れちゃいないさ。だが、あれから俺たち、全員で汗かいてここまで来たのも事実だろ?全員で卒業しようぜ。みんなお前を認めてるよ。アメリカの銃になったんだよ、お前も、俺も!アメリカを撃つための銃じゃない!この先、戦場には何が待ってるか、どんな現実が待っているかは分からない、ただ、これまでやってきたことは、明日からのためにあるんだよ!なぁ・・・(これの5倍くらい長いのが、更にPvtパイルのターンに切り替わり続く)」

みたいだったら。これは私の駄文(ですからキャラ崩壊は気にしないでください。)ですけれど。回想映像を挟んだらもっと酷いですよ。これがプロの手によってどんな美文になったとしても、必要ないわけです。複雑な感情を表すのに、複雑な台詞を喋らせる以外の方法もあるのです。(なんてことは素人に言われるまでもないと思うのだが、やっぱり、分かりやすくしなきゃウケないのでしょうか。)

長文演技を入れるなら、安易な感情描写の手法ではない、聴かせるシーンであって欲しい。


[追記]

テクノロジーに取って代わられる・・・滅ぼされる、という話なら、画家や音楽家を悲鳴と共に押しつぶして、血とゾウモツの混ざりモノが糸をひいて上がるプレス機の中から、深紅のアイパッドを取り出せばいい。その方がよっぽど鮮烈だ。

ホントにそれの簡易表現だったのかもしれないな・・・だとすれば、あの映像の裏にその光景を見てしまった人々の反発心は、意外と健全なものかもしれない。