コードギアスと0083

現在、コードギアスがyoutubeで連日配信されているのを楽しく観ております。

20周年にもなろうというのが驚きで、今でも、洗練されている現代的なキャラクターやメカニックは全く褪せて見えません(映像はリマスターしているでしょうけど)。

しかし時が経つとキャラクターの好みは変わるもので、当時はナナリー最萌えだったのが、今観るとカレンがかわいい。

パイロットスーツで臍とか胸とか尻とか強調しているけど、むしろ猫被った病弱学生姿のプレイ感が大変エロいです。それも、やらされているのではなく、セルフプレイなのがいい。女の芝居の危険な魅力を感じます。実際に危険なほど強いですし、強かで侵されざるおんな、というのが僕は大好きです。飛んでる蜂を手の一振りでバラすとこなんか最高。それでいて弱く見せているところに、ヤマトナデシコを感じちゃいます。って、こういう発想は時代錯誤でしょうか。

C.C.は相変わらず可愛いです。緑寄りのブロンドヘアに見えなくもない、黄緑色の塩梅、あのつややかさと軽さ、すごいデザインだと思います。


さて、作中では、主人公・ゼロの「結果は全てにおいて優先する」結果主義と、ライバル・スザクの「間違った過程で得た結果に意味は無い」過程主義が対立します。

ゼロ(ルルーシュ)は超常能力を用い、個人の裁量でどんどん人命を切り捨てていく、「デスノート」のキラのような(時期近いよね)、悪の変革者の道を行く人。

それをスザクは、高見の見物で人の命を囮にして結果を攫う卑怯者、弁舌で犠牲を正当化する、審判者気どりの人殺し、と糾弾します。

このスザクの考えは、ゼロの「間違った悪の道」と相対的に、「正しい善の道」なのか?というと、そうでもない。

間違った過程による結果は間違い、とは、裏を返して、結果はともかく過程が正しければよい、という帰結になりかねない。正しい過程を踏んだんだから、いいじゃないか、過程さえ正しければ、いいんだ、という、これもまたある種の正当化である。

ショックイメージ=父親の幻影を見せられたスザクは、俺は仕方なかったんだ!と叫びます。普段から、自分の命を顧みずに全力を尽くしているのは、このトラウマに縛られているゆえなのでしょう。全力でやったんだから仕方なかった人、で常にありたい。自分が間違っていたと思いたくないのです。

・・・というのは少々、いじわるな見方でしょうか。

ゼロは建前上、支配者の抑圧からの人々の解放、という正義を謳って、その過程においての犠牲を正当化します。

スザクは、その支配者を内側から変えていきたい(そうすべき)、という理想を話しますが、現にイレブンは搾取され、差別され、虐殺されている。支配者に与するということは、変革が叶うまで、「正しく」その片棒を担ぐということ。「正しい過程」が実行される間、犠牲は「正しく」生まれ続ける。それは「正しい悪の道」なのかもしれない。

スザクの主義も、ゼロの主義も、同様に犠牲を生ずるのです。しかもスザクの主義は、いち兵士として発言権もなく、表面的にはブリタニアの正義の行使に隠れてしまっている、個人的な保守思想に過ぎませんから・・・そうは言っても偉い人にツテはあるし、能力は戦術級なのですが。

しかも、ある程度はゼロの生み出した結果や、イレブンの賛同を認めたうえで。スザクもかなり頑固です。それでもゼロが間違っていて、悪くて、卑怯だ、と断じるのですから。特に、ゼロがばんばん人を「自決」させ、それを利用することに、敏感になっていますが、父の「自決」への反動なのでしょう。けれど、自分に許せないことを、他人にも同じように強制することは、上手くいきません。社会に強制することは、もっと上手くいきません。(それをなんとかしてしまうのがゼロのギアスです)

仕方がなかった。と過去に一旦の決着をつけるのは精神衛生上は役に立つことです。ただ、自分の行いを(例え悪いことでも)認めることを先送りにしたまま、他人の行いを認めない態度は、開き直りで、イタい。それが通用しないと、自分も面白くないので、もっと強硬になる。他人の行いを仕方ないと思えるまでには、時間がかかりますね。仕方ないと言っても、諦観な放置・怠惰な黙認、ではなく、現実に向き合っていかないと、先送りのツケは必ず、自身か周囲か両方に掛かります。これは日々感じることですね。

渦中のスザクにとって、その渦を生んでいる当人たるゼロが、自分の中だけで責任に向き合い済みで、それを次の行動によって清算しようとするのが、なんの良心の呵責もなく次々と災禍をバラまいているだけに見えるのも、当然のことではあります。しかも、ホントは妹の為だけだし・・・。

「逆シャア」で、正義など考えていない!お前と決着を付けたいだけだ!と最後に開き直られる方が、対戦相手としてはやりがいがありましょう。正義も、お前との勝負も考えていない!妹を幸せにしたいだけだ!というのはものすごい肩透かしですよね。とはいえ、ガンダムに比べると、エースパイロットとして同じ土俵で取っ組む関係ではない、という差異があります。そういう、取っ組み合いのライバル関係でないところも、面白いですね。

最終的には、スザクの、理想に実行力が伴わない問題は、やがてゼロの主義(現実)と妥協することで解決するのです。中庸を採れるようになることが、大人になるということなんでしょうね。

「純潔をつらぬき通すのでもなく、ヘドロと汚物にどっぷりつかるのでもないもうひとつの道。それは全世界のおとなたちが選んでいる道だ。欲に目がくらんでどぶ泥の中におっこちないよう、バランスをとって歩く。ふたつの悪のうちの小さいほうを選び、自分の善意を見失わないように進む。」(刑務所のリタ・ヘイワース)


ここで話が、ガンダム0083のことになるのですが、現実でテロ行為を目にするほど、デラーズ・フリートは結局テログループに過ぎない、ゆえにデラーズもガトーも評価できない、という見方が増えているように思います(少なくとも、ネット界隈では目立つ)。

結果主義の見方で言えば完全に失敗です。作戦は一応は成功しましたが、結果、スペースノイドの地位向上という目的は果たせず、却って、スペースノイド弾圧の口実となってしまいました。

過程主義で見た場合、これはつまり上記のネットの反応と同じく、テロ行為は、テロを受ける側=抑圧している側からすれば、道義的に正しくない方法なのです。デラーズ側からすれば、乾坤一擲、この方法に賭けており、正しいと思ってのことですが、勝てば官軍とは言え、作戦完了が勝者となることを意味しない星の屑作戦では、結局は後にも存続している体制側の都合で過程を評価されてしまうのが、痛い所です。作戦の利益を受ける側である、当のスペースノイドにとって、デラーズの所業がどう見えるかが問題ですが、もっと正当性の宣伝に力を割くべきでしたよね。2号機の前で一発キメるだけじゃなくて。サムライからすると野暮なのかもしれませんが、図々しいほどに、自分たちの行動が徳に基づき、自明の正しさを持つことを宣伝し、共感を呼ぶ。戦後復興に漕ぎ出したってときに、余計な事しやがって、と思われたらたまりませんから。サイド3を売国奴呼ばわりしたのが、本音が出ちゃったようでダメだったと思います。

一発勝負である故に、結果が出るまでフィードバックがなく、過程は自分たちの中で正しいと思い込んでいて、結果をもたらせば正当性が後から付いてくると信じる、結果主義と過程主義の悪い所取りであります。最終目的と構成員の信念が一致しているかどうかも怪しく、デラーズという指揮者と、ガトーという戦術級の結果を出す兵士、敢えてコードギアス的に言えば、まさにゼロとスザクが二人がかりで行った結果、失敗してしまったのが、星の屑作戦でしょう。

テクノロジー面での支援組織、アクシズとキョウトの関係も似ていると言えば似ている。

ゼロとスザクというより、日本解放戦線とかの方が、近いかもしれない。彼らも、実際的に日本人の為というよりも信念を重んじていて、それがイレブン弾圧の口実にもなっている。

と、そんな具合に、符合するものを感じたので、0083とギアスを絡ませてみたのですが。言いたいのは、テロリストを描いているから作品の、あるいはキャラクターの評価がどうこう言うものでもないだろうと。

んなこと言ったら戦争も殺し屋も不良も不倫もバトルマンガも等しく不道徳です。

信念を遂げようと身命を賭す人間の生きざまを描いた物語が、法的に正しいとか、道徳的に正しいとか、そんな現実の生活的正しさの尺度に押し込めて見たとして、意味があるものですかね。

物語上の、テロ行為に従事するキャラクターをカッコイイと言うことが、問題あるように見られないか心配で、冷笑的に予防線を張っているのだとしたら、全く、寒いことで。いらない心配です。

物語へ共感したり、教訓を得たりすることを知らない奴らをこそ、白眼視してやればいいのです。

勿論、デラーズが嫌いでもガトーが嫌いでも、それは全く自由ですが、信念も情熱もなくしてしまったこの乾いた時代に生きる人間が、現実のルールと比べるだけの見方で、彼らを愚かだと、淡泊に評するのは、なんかむなしいんですよ。

創作物における、自分とは異なる主義を、跳ねのけないで、疑似体験してみればいい。現実、自分と同じ考えをしてる人間なんかいないので。そんな相違へのファーストコンタクトが現実の対人関係だと、辛いんじゃないでしょうか。

勿論、単に行為の疑似体験という効果もありますが。というかモノによってはそっちがメインだと思いますが。)

というのを、コードギアスみたいに現代的で青春劇にすれば、いいのかなって思ったのでした。

あれぐらい、青春だと、感情移入しやすいよね。私は、個人的には、戦争もので人の生死にうじうじ悩んでるのは好きではありませんが(しかし、美男美少女のラブコメは楽しいのでオッケー)。

なわけで、「1st」「逆シャア」は好きだけど「Z」はそんなに好きじゃない。顔も映らない、声も立てられず撃墜されていくパイロットたちも同じ人間でありますから、メインキャラの死だけをピックアップしてウェットになるのはむず痒いのです。

僕は、切り裂かれるドムとか、淡々と発進するジェガンに、感情移入して、泣きます。

疑似体験or個人の範囲で済ますべき行為を、現実or社会に持ち出してしまう輩が、「特定範囲の人間たちの代表選手」みたいに扱われるのは我慢なりませんね。バグなんですよそういう輩は。それも、いちグループからこぼれ出たものでなく、全体からこぼれたものだと思って欲しいですね。世論には。いち製造ラインの欠陥よりも、着眼点を間違えた管理体制が真の原因なのではないかと・・・。かくいう私も、表面でものを見がちなのですが・・・。


それはそうと、youtubeの動画の並べ方が不可解。

あるチャンネルを視聴中、同じジャンルだけが並ぶチャンネルと、全く関連のないクソゴシップやビジネス・啓発系で埋まるチャンネルがある。

チャンネル側の設定なんですか?

全ての中から不要なものを選ぶのじゃなく、必要なものを選びたいのですが。

まったく、おすすめ、オススメ、お勧め!どこもかしこもどいつもこいつもおすすめ!ですよ。

頼むからこっちが尋ねるまで引っ込んででくれよ。


16話を観たんですが、もはや死にたいのか、スザク。そうだったか。

正しさの絶頂の中で死して、「スザクは正しかった人です」ということにしたいと。自分かわいさで。

しかし未来を見ていない人の保守思想ってアブナイですよ~。未来など知ったことかの革新はもっと危ないけど。そしてそれらの合成が一番迷惑なんだけど。現代日本でもわかるね。

その点、「妹の未来」に励んでいるルルーシュの方がマシか・・・?

あと、皇女姉妹のキャッキャをもっと観たいです。あれ最高だよ。もうああいうシーンだけ延々と繰り返して欲しい。ホントにそれだけのものを作るとロクなものにはならないでしょうけど。満たされないくらいがいいのでしょうね。腹3分目くらいが。


21話を観ました。

そうそう!こういう展開だった!あ~いい、この善意で殴ってくる感じ、辛くてたまらないよ。

そのラストは衝撃なのですけど、個人的には、咲世子さんに「スザクさんはイレブンの希望の星なんですよ」としみじみ言わせた直後に、(恭順派でなく)騎士団側かい!という作りが好きです。一度、ユフィのSPとにらみ合いの構図にさせてるのが効いています。いあぁ面白いなー。

で、ぼーっとクレジットを眺めていたら、アレッ?特殊効果、干場豊さん?

R2では野村由美さんという方が特殊効果をしてらしたのですが、1期だと干場さんだったんだー。へ~?1話のクレジット見ても載ってないんだよな・・・。

ガウェイン出てきてから、アオリ顔がすんごい「佐野アゴ」なのが楽しみです。多分敢えてですよね?他のナイトメアが▽アゴだから特に目立ちます。ナイトメアデザインの3氏がどれをどう作ってるのか存じませんけど、ガウェインはアオリ顔を描きたくて作ったんじゃないかって気さえします。少なくとも、作画上で中田さんがフィニッシュしてるのは確かですけど。

20話のガウェインは1歩遅れるべきでしたよね。つまりスザクを見殺しにして、それの仇討ちとか言ってさ。恭順派のスターを、騎士団のポリシー(武器持たぬ者は殺さない)に背かず、ブリタニアと対立せず、スザクの意思を全う(正しく闘い尽くして死ぬ。しかもユフィの言葉に救われて清々しかったろうし。)させたうえで、排除できる、最後で最高のタイミングではなかったか。

ルルがするはずがありませんが。また、スザクが、「ランスロットになんか誰が乗ってやるものか!」っていう人じゃ”ない”から、本分を”遂げさせない”ことに意味があるんでしょうね。

しかし、学校でのカレンはホントに可憐です。たまらん。


23話の激萌えポイント・・・ナナリーとの電話の後で、C.C.と会話するルルーシュがゼロ声になっていないところ。

燃えポイント・・・月下藤堂機の、刀のスラスターを使った機動。ロマン武器でブースト付きハンマーの類はよく目にするけど、こちらは、ローラーシューズを手持ちの推進器で加速させる、という等身大で想像がつく理屈なのが楽しいですね。現実のアクティビティに出来そう。水上なら可能ですよね。ポンプで放水しながらサーフィンすれば。そういうの既にありそうです。