辛旨な本

與那覇潤「中国化する日本」「日本人はなぜ存在するか」「知性は死なない」「歴史なき時代に」を読みました。

先ず、比較して言うなら、

「心を軽くする魔法の言葉」方式の本は、私を救わなかったということだ。(読み物・伝記としての面白さとは別ですが)

偉人・有名人・あるいは高僧・人道家・人情家・あるいは学者・思想家・また何らかの成功者、あるいは苦労人たちの、感情移入を呼ぶストーリーから、最後に20文字だかの格言で締める。

こう考えればうまくいきます、こう考えることが必要です、さあ今日から「考え方」を変えましょう。

だが・・・それは「思い込み」であり「考えの放棄」だ。

「お前はバカだ。だからお前の話なんか聞かない」「私は尊い。だからバカにするやつの話を聞く必要はない」

思考の構造は同じである。そして「自分」と「自分を苛むもの」による世界の構造も変わらない。

結局は、現実から背いた分の負債を背負うことになるのだ。となれば、実行できない自分を責めるか、より美味い方法を求めて縋るか。

いつまでもその繰り返しでは、ムカつきは一向に晴れて来ない。

與那覇さんは、「考えること」に導いてくれる。思い込みの対症療法ではなく、息苦しさの構造を解く鍵を与える。

そこにあるのは本当に「自分」と「自分を苛むもの」なのか?

読んでいて、いかに自分が考えずに、狭い視野でポジショントークをしてきたかを思い知らされて、カーッと熱くなりました。

因果を組み立てる為の情報選別や、情報の使われ方への無頓着、一時・一面の瞬間的な情報に囚われる視野狭窄、それらは、考えていると言えない。

その「ポジション」で、わかりやすいのがウヨクとサヨクなんですが、例えばサヨクが、護憲心中洗脳教団だと、断定してしまえば裏付けの情報はいくらでも「集められる」のですけど、もう敵・味方の構造に囚われてしまうんですね。それを疑うのもストレスだから、立ち位置は変えられないし・・・それを自覚しない。それが歴史の流れを見ると、両者が混濁して行きつ戻りつしているのだった。ウヨク的には、護国思想はほんとうに護国(民)なのか?という・・・。

対米で右なのか従米で右なのか、わけわからん、なんて悩むのも意味がなくて、なぜ、どういう流れで今こうなっているのか、知らないことには、発想の枠って固まったまま(あるいは狭まるのみ)なんだなーと。怖いですね。

近年流行りのデータ絶対主義も・・・恣意的な利用がある、というのは詐欺グラフが流行ったぐらいだから、知っているはずなのに。従うと決めたポジションの言は疑うことをせず。反するデータを信じず。互いを打ち負かすことにデータの扱いが終始しては、過去の相似的繰り返しに過ぎないことを見落とす。

御津羽先生の言にもあったが、「誰が言うから正しい、どっちの側だから信じる」という信仰をやめろと。その尻馬に乗った弾圧も。

羞恥の熱が引いた今は、清涼感に変わりました。

思い込みで傷つくのを止めよう・・・「己」と「相手」の関係からくる被害妄想、の域に留まらず、その関係構造を思考によって解体していく。それを単なる啓発のイイ言葉ではなく、過去に誰がどう考え、何が起こって今があるのか、大きな動きから、その一部としてのわたし、に実感させてくれる、とりあえずはそれが効用でした。

あと、「中国化する日本」は日本史(+政治史)として面白かったです。学生時代の途中から歴史というものを切り離した人間なんで・・・。なんなら初めて歴史の勉強をした気がしました。却って、先入感とか拘りがないのが良かったのかもしれません。自慢じゃないが戦国とか全然興味なかったので。


慰めやポジティブ思い込み法の多い啓発本・ビジネス本で、感動譚・成功譚的おはなしのおもしろさとは別に、一番まともで、実用的に思うのが、「一倉定/マネジメントへの挑戦」です。

端的に言って根性論なのですが、根性の使い方を、がんばればなんとかなるさ方式ではなく、先ずゴールを決めて、そこに行きつくために根性を出せ、という。できるだけ頑張る、ではなく、これだけは頑張る。先に目標を定め、実現のために計画し、その実行に責任を持て、と。まともである。

机上論で生まれた数字に踊らされるな。ともすれば、怠けるために理論数字を言い訳にするな。目標から逆算して、到着するための必要な数字が決まるのだ。

てか、昭和40年の本で、机上知識だけ詰め込んで実践を欠いた使えない人間(マニュアル)とか、ハウツー本の氾濫にウンザリしてるのって、間違った意味での時代錯誤というか、本当に繰り返しなんだなぁ。

三島由紀夫の「不道徳教育講座」も、最近書いたのかよ、って感じです。

自己啓発・生き方指南本は、占いと似たようなもんで、普遍性のある洞察(もしくは、ただのおおまかな事実)を、優しい慰めに変換したものだと思っています。不純物です。不純物が美味しいのですけどね。

その手の本に比べて、一倉さんが”優しくない”のは、結果主義というとこですね。生き残るための結果主義。

頑張ったのだから仕方ないよ。やり方は良かったんだけどね。と慰めても、結果がよくなければ(結果的に)自分を苦しめるのだ(生存できないので)。

ここで、その「マネジメントへの挑戦」から耳の痛い引用。

耳が爛れ落ちそうです。

自分の想像性が求められば、最高なんだがな。