共のポスター

「大」の字型交差点(信号が3段切り替えで、長い。)に共産党のポスターがあって、信号待ちで目にしては感心しています。

なんか、インスタっぽいなと。人が集まって何かを訴えているエモい絵に、流行の話題(政治資金や戦争)やキャッチーなタグ(減税や福祉、子ども支援、反軍拡。つまり党方針)をつけて呈示しているわけで。

「無理」は言ってないんですよね。基本的に「いいこと」であって。

ただ、それをどうやって、何を引き換えに、どう継続を見込んで、どんな反作用を見越して、実現するかという視点がまるでないので「無茶」だということです。

そういう、人の夢を収束させるパートがあることは悪いことではないと思いますが。

気になったのが、「政治の責任で~を」という言葉。

勿論、責任ある政治は行ってもらいたいですけど。

政治の責任とは、政治家が「選ばれた責任」をとり、国民が「責任を持って選ぶ」ことではないか?

なんか、野党だから夢語ってりゃいいや的な、ヒトゴト感を受けるといいますか・・・。また、政権を批難するなら、それを選んだ国民にもバカヤロウと言っていいと思うんだけど、その辺が当たり障りないというか。

だから、アピールするならキャッチフレーズを唱えるのじゃなくて、自分たちに何ができるのか、どう変えていけるのかを説き起していかなければならないのではないか。「ただ存在すること」以上の意義を示していかなければ、「政治家の責任」を果たしていると言えないのではないか。

それは立民にしてもそうですが、もう少し国民の知能(というより理性?)を信じた方がいいのではないかと(私が信じてるかどうかは微妙ですけど・・・ない前提よりは、ある前提で動いて欲しいです、代表の人には)。いつまでも民意を問うとか言ってるあたりが、国民不信でありましょう。実際的には、対立党支持層(あるいは無党派)への信頼、でしょうか。身内ウケの定番ネタで盛り上がって喜んでるようじゃ期待できない。

印象論になりますが、不満への同調だけを期待した攻撃的姿勢、だけの、カリカリした顔ばかり見せる人には付いていきたくない。

怒りの瞬間風速のあとに、何が残るのです?

少数党ほど、国民の目に触れる限られた機会でイメージの強調を図るのが、よくない。中身がなくなってゆく。反対に、与党の方は泰然としている、という、よろしくないイメージ効果がある。カメラの前でこそ、冷静で穏やかに振る舞ってもらう方が、私は好印象を持てると思う。

この人なら信じられるな、なんか悪いこと考えてそう、善人顔、悪人顔、強そう、弱そう、丈夫そう、不健康そう、といった印象は、バカにしたもんじゃないと思います。

そういう印象は発言内容でも作られることを考慮しないのでしょうか。(たとえ筋の通った考えがあっても、また、よく聴いたら理屈の通ることを言っていても)一見(一聴)してバカに見えるのって、損でしょ。

選挙って、某アイドルグループだけの話じゃなくて、政治家だって、顔(と性格?)の印象で選ばれるのですから。

※美男美女が議員をやれという話ではない。念のため。


こういう文章も、「あなたの為にならないから、それはやめなさい」という、ナントカ圧力(なんて言葉か忘れた)なのでしょうか。

多数派(体制派?)によるお為ごかしの言論弾圧だか強制、みたいな意味の横文字。忘れてしまいました。