技術を更新していく

何でも描ける、というのが多くの絵描きが目標にすることのひとつではないかと思います。

それが自分の中では、しばらく「どんな絵柄でも描ける」という意味だった気がしますが、近ごろは、絵柄なんて些細なことだと感じるようになりました。

そんなことよりも、どんな世界・どんな空気・どんな対象でも描き表すことができる、という方がよほど重要なことです。

詰る所、絵柄というのは記号の集合です。それをどれだけ精巧に追っても・・・(職人ワザとしては価値があるが)・・・世界に迫ることにはならないのだろうと思います。たとえばどれだけ「リアルなキャラクターデザイン」であっても、それを正確に描き表せたところで、2次元なのですよ。ある省略の規則性を示しているだけで。

しかし絵描きは平面に平面以上のものを織り込むことが可能です。いわゆる情緒というものです。

感情を起こす、という意味では、かっこいい、かわいい、もそうなのでしょうが、もっと複雑なものを絵に与えたいのです。

自分の中では「精神性」と呼んでいます。具体的にどうなんだと問われても困るのですが・・・それが本当に存在しているような感じ、でしょうか。現実的、写実的という意味のリアリティとは異なるものです。それが現実に即したものであろうがなかろうが、手を突っ込めば血が噴き出すような実感をもたらしたい。(完璧な瞬間、と呼ぶ方がわかりやすいかもしれません。悲しみや厳かさといったものがその空間に降る、という、「嘔吐」で「そんなものはなかったのよ」と言ってるやつです。あ、いやでも…泣いているポーズの人とか、驚いているポーズの人とか、その手の感情を表す古い表現についてのことだったかな…図鑑だったか写本だったか。手法について言えばそういうものを目指しているのではありません。ううん、例えば全く同じ顔同じ表情で、怒りと悲しみを描き分けるみたいなことを、絵全体でやるみたいな感じでしょうか。人でも蟻でも家でも。)

まあ、早い話が、なんでもそれっぽく描きます、ということなのですが。

絵の価値に占めるモチーフの優位性というものは確かにあります。石ころよりも男、男よりも女の方が描いたら受けます。
けど、それは絵にならないということではありません。なんだって人類の文化で認識できるものならば(それはつまり我々が我々である限り、全ての物事です。)、人心に響くようなものを描くことはできるでしょう。

それが何でも描きたい、描けるようになりたい、ということです。


実際的な話だと、絵柄がどうこう拘るのって、時間がもったいないんですわ。もうその時点で最初に描きたかった精神の部分から焦点がズレてますし。

また、才能的な話では、どうしたってできることとできないことがあります。できることをやればいいんです。できないことは人に任せて。それがきっと、自分が自分である限りは自然なことなんです。自己を形成するものは再インストールなどできないのですから。

そういうわけで、もっと図々しく絵を描いていこうと思うのでした。
自分が描ける表現をする。その幅を広げていく。ただ、自覚する自分のスタイルの再現が目的になると、それはもう自分の記号化ですから、そういうことではなく、自分の精神を注いで作っていけば、自ずと、振り返ったときに自分らしく感じる絵が並んでいるのではないかと思います。

と、いうわけでSkebの受付を再開しました。

結果的に喜んでもらいたいのは勿論のことではありますが、クライアントにウケようとして自分を見失わないようにしたいところです。頼んでくださっているのだから、そこにさらに色を付けようというのは、雑念ですし、まさしくそういう失敗をしたので・・・。

最近、長々とお付き合い頂いた依頼人様には、私の感性を通したものを喜んでいただけたようで、本当に嬉しかった。

いや、そうは言っても、頑張って明るい絵にしたんですよ。(あれでも)

すぐ暗い色に持っていっちゃう癖がある。もー暗い絵大好き!ただ流石に、画題の趣を無視して暗くしてしまうのは悪癖です。暗い部屋で絵を描くと暗くなるものですが、モニターがあんまり白いと目が痛いから、暗くしてるんです。そのせいもあるかも。


実用的な話ですと、クリスタで引く線をアナログに近づけようと試みていたのですが、結局のところ、線に関しては、質感が存在しないデジタル線の方が、なめらかで、よく馴染み、見た目がいい、という結論に行き着きつつあります。

どうにも質感がジャギっちゃうんですよね。描画時は楽しいのですけど。逆に、デジタル的な味もなにもない線は作業が苦痛です。

でも、動画制作で線を描きまくったおかげで、以前よりは線画を楽しめている気がします。


余談・・・

表現者は身を護るために世の動向・政治に興味を持った方がいい。
ということを前に書きましたけど、

もはや末期な感じで、気分を害する一方です・・・。
テンションを下げるくらいなら、何も知らず存ぜず関せずに徹したいくらいです。

しかし私は、天から降るような絶対感覚など持ち合わせない、俗世との相対感覚に生きる人間です。
ドブの汚さへの対立としての花の美しさを見出すしかないのだろうと思います。
(我が世界を構成するあらゆるモノが美しければ、わざわざ絵なんか描こうと思わなかったでしょう。)


余談2

youtubeの広告。

海外企業の広告が軒並み「その事業に関連するワード」と「エロ画像」を合成出力したと思われる画像になっているのですが、反動なのでしょうか?

エロへの規制とは別問題で、広告主も掲載側も、こういうもののチェックを怠る杜撰さと、信念もヘチマもないようなやり口はどうかと思いますよ。反抗運動という面があるにしても・・・。

一方我が国では、広告に含まれるエロの暗示がどうこういった騒ぎがありましたが、問題のバカさ加減とは別に、ああしたものに(無理やりであっても)暗示を見出せるだけ、さすが我が変態国家の感性にはまだ救いが残っているのかな、と思わないでもないです。(知能に関しては怪しいが)

もはや示唆を通り越して、ある画像とエロ画像を単純にオーバーラップさせただけのものなんて、安直すぎるし、そういう直接的ながら境界が曖昧な見せ方なら裁かれない、として安住するとなれば、エロが痩せていくと思います。氾濫するものの価値は減っていくものですが、安直なやり口には必ず便乗する者が表れます。もし、そんなものの蔓延によってひと悶着起こったとして、それが是と非のどちらに転んだとしても、迷惑なことになると予想されます。

まあそんなことは杞憂なのですが、絵描きの端くれ的には、(年寄りの)美術批評家が合成画像を新たな芸術、モダニズムの再来だとか言って喜んでいるようなのが面白くない。

解説者に解説対象を生産できる力を与えるってことなんですよ。こういうテクノロジーは。手前味噌は個人の勝手ですけど、絵描きを諦めて安直な方法へシフトしたことへ、もっともらしい解説で言い訳をしているようで。それが現代アートを安易だとか商業主義だとか非難するのと同じ口でですよ。枯れるってそういうことなんだなぁ。

アーティストがパフォーマーになっていくんだろうなと、その流れに乗れない我が身をちょっと憂います。

タイパとか言っても知ったこっちゃありませんけどね。要はタイム・パフォーマー、イラストはその形態のひとつに過ぎません。

だからと言って、往年の一流イラストレーターは尋常でなく手が早いので、全く我が身の言い訳になりません。(悲しい(笑))


[3/22]

4年前の絵を見返していて恐ろしいことに気づく。(というかよ、よねん!?もうそんなに経った!?)

気が付かないうちにすっかり保守的になっていた!!
自己模倣は避けようと上で書いていてこのザマです。

そうです。新しいやり方を発明しているつもりが、実際はいかにやり方を体系化・効率化するかということに腐心していた!

洗練してきているつもりが、表現が陳腐に、痩せ細っていたのです。どう”上手いやり方”をするかということに・・・。

ああ、本っ当に自分のことって気が付きませんね。

ああ、今年2度目の大ショックだ。

「これは上手いやり方を見つけた!」と閃いた気になると、それをベースにしてしまうのです。それを改良することを進化と思い込む。
違うんだ、結果を導くためにどうやるかなんだ、”どうやって結果を導くか”ではないんだよ。ああ、早く立ち直らなきゃ。

しかし今気づけて本当に良かった。

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リクエスト作品の制作を進めております。