責任持って嘘を付け

嘘を嘘と見抜く奴は増えたが嘘を嘘と楽しむ奴はほぼ消えた

っていうネット格言を友人が持ち出してきて、かなり困惑しました。

この文について私は、

①未だに嘘を見抜けない遅れた奴らもいるらしいが、俺みたいに嘘を楽しめる希少な人間からすれば、嘘を見抜いているだけの奴ら(お前)もまた、石頭で嘆かわしいことだよ。

と、まあ、まずマウント文だな、としか解釈しないのですが、友人は、

②嘘に騙されないだけでは、頭が固くてつまらない。もっと、心に余裕持って楽しんでいこうぜ!

という意味で使っていたらしい。

ていうか、①でも②でも、虚偽を突っ込まれた際の返答に使われる場合、発言者のユーモアの不出来を責任免除・転嫁する役割であることに変わりない。

まあ友人は以前から、見かけたネットネタをよく調べずに使う人なのですが、正直がっかりです。(某有名人の掲示板に対しての発言の捩りネタなのでしょうから、顔見知り同士のサシのやりとりに持ち出す言葉じゃない、と思うんだわ・・・。※)

自分の言葉で語りさえすれば、余計な諍いはないものを。(ジョーダンだよ、ジョーダン。タハハ。で、済む話である。)

実際のところ、ネットでどんな使われ方をされるのか、調べる気もないので、案外平和な論議で使わてるのかもしれませんが。

しかし・・・楽しい・罪のないウソと、不快・迷惑なウソとを区別なく、それを楽しめる頭が高尚、であるかのような言い回し、それこそがウソで、つまらねーウソは底の底までつまらねーもんです。

嘘や冗談のセンスの無い奴が増えたうえ、責任を持つ奴はほぼ消えた、なのかもしれませんよ。

人生、楽しんだ者勝ち、なんて言いますが、無理になんでも楽しもうとすることなんてないよ。


[4/1追記]

そういえば、嘘のイベント、というものがありましたね。

タイミング的に、エイプリルフールを牽制するような記事になってしまいましたが、さっぱり、意識していませんでした。(衣食住のイベントじゃないので、目にしないし、忘れてりゃ気づかない。)

そこで、何か積極的な嘘をつこう、という人の立場を考えると、ただでさえ、全文を読まないとか、本意を取り違えるとか、エキセントリックに曲解をするとか、そういうのが多いらしいネット界では、冗談のセンスを発揮するのは難しいかもしれません。

それに、クレーム屋というのも、いるのでね・・・。嘘を嘘と楽しむ奴はほぼ消えた、というのも間違ってはいないかもしれない。

同時に、ネット界がやたらと大喜利をしたがってるような気もしますが。頭を使わない迷惑よりは、頭を使ってもスベる方が、断然平和ですけれど。

~な奴が増えたというか、ネットであらゆるタイプが表出して、目に入るようになったんだな。

上の①で私が想定していたのは、例えば、「飲食店の割りばしを、片っ端から鼻の穴に突っ込んできたぜ、ワロスw」みたいな、しかもそれを実際にやっちゃうヤツも含んだ・・・いわゆる○○ッターのことでした(それも、収益化で盛んになるんじゃないか?)。ちょっと極端な例ですが。

けど、そんな風に発想しちゃうのは、かなり悲観的なネガティブ思考ですよね。過剰反応・被害妄想の凸屋にはならないようにしています。

まあ、僕はむしろ自分の窓を閉めていく方ですけど。


※裏返せば、匿名の個人が、不特定多数に向けて冗談を言う、という形に無理があるのだろう。

個人情報を持たない(人格的背景も、集団での立ち位置も認知されない)者のふるまいには、個人としての容認も、個人としての責任追及も出来ず、文言のみが独り歩いて、誰でもその尻馬に乗ることができ、一方、批判をするなら、似たような思想の個人の集まり、という仮想集団に対象を求めざるを得ず、~な奴ら、という曖昧な輪郭がどんどん広がっていく。

だから、その広がる網に自分が絡めとられたと思いこまないように、笑い飛ばしていかなきゃならない。

というと、俺は格言を肯定しているじゃないか??・・・いや、要点はその言に一理あるかないかではなく、その使い方です。

例えば、「チェーンをしない人間が自転車を所持するのは難しいだろう」と自転車ドロが吐くのは筋違いだということです。