
ヴェルトール2ndとヴェンデッタのバトルは大好きなシーンなので、これはもう何度も描いちゃう。
もうちょっと描くスピード上げたいですな。という試みを最近しとるわけです。
同じことを3度やるともー飽きちゃう私なので、堪え性てか、描くことを習慣づけたい。いじけてる場合ではない。
閣下を描くときは閣下に感情移入しちゃうのでいかん。
娘4人は「閣下!」「閣下!」しか言ってないのにね。(どいつもこいつも閣下!)
それを閣下は「俺は、俺によってしか満たされない!」と切り捨て、あくまでも我思う存在意義を掛けて、フェイに挑みます。
自己を追い詰める自意識過剰、視野狭窄?
自分の設定した認め方でしか自分を肯定できない、肯定されないだろう、という気持ちには私もたびたびなります。
裏返せば、心の持ち方で満たされることが出来る、ということなのですが。
妄執に打ち勝つことが「克己」だと思い込んでも、存在価値の危機を感じている限りは堂々巡りで、そうではなく、別に自分の価値は脅かされてなんかいないよってことに気づけと、エリィは言いました(閣下は聞く耳持ちませんでしたが)。
その根拠をどう持てばいいのかがまた問題ですけどね。
価値観の視野を広く持てと・・・。どうやって?
自分の価値を肯定する見方をかき集めるのは依存ですね。
あるいは逆に、自意識賞賛的妄執、独りよがり。
外敵から自分を守る・勝ち取る、という妄執から抜け出ても、また下げ過ぎず、上げ過ぎもしないように、チェックが必要です。
周囲、他人を見ろってことでしょうね。
自分の輪郭が、針のように細いわけでも、運動場並みに広いわけでもないし、他人もまたそうだから、過剰に恐れ、侮ることもない・・・はず。
それが呼吸のように出来ている(ように見える)人は素敵なんでしょうなあ。
ああ、それで、絵描き(特に2次創作者かな・・・)は、自分で見たいものは自分で生み出すしかない、という動機で描くことを始めるものだと思います。
それつまり、自分は自分によってしか満たされない・・・と、いうのは、ある一面では確かにそうです。
観て楽しいもの、人に必要とされて嬉しいもの、自分が描く必要があるものとは、それぞれ別です。
それらの配分・比重と幸福の関係は、掴みあぐねています。
人に必要とされるものを、自分の必要に沿わせて描いて、それを観て納得できれば、完ぺき、かな?
