見られるとは思わんのですが、ねんのため、改めて御津羽先生に申し上げたいことが。
(エゴサとかしないだろーし・・・メール届かなかったし)
たびたびネタにされてました、某ガンダムの「弾着今」なんですけど、そうは言ってないんすよね。
あれは敵機の機動を先読みしたポイントにミサイルを打ち込むのを、「射撃(タイミングは)今」と言ってるのです。
まあ、ちょっと変な用語的言い回して感じはしますけど・・・。
どっちかつーとその直前に言ってる「苗頭よし」の方が変なんじゃないかな、ミサイル(M粒子で誘導はしないのでロケットか?)に使うの?という。
いや砲術用語なん全然理解してませんけど私は。
それよりも私は、このシーンの曲の盛り上げ感に動きが追い付いて無いとか、あとコロニー落としが・・・あれじゃまんまインデペンデンスデイじゃんって。1stの構図の方が規模の描き方が優れていると思ったなぁ。
敵キャラのはっちゃけ方は私はダメでした。ああいうノリは受け付けないわ。
冒頭のディジェがメインディッシュだった。
変なポーズでのキャッチもそうだけど、何で真面目にできなかったんだろうなぁ。
シリアスなことを恥ずかしいとでも思ってんだろうか。
深刻に作れないからいっそ茶化せってことか?
その反省がハサウェイなのかもしれないけど、あれはあれで、まずロボットがCGだという点で私は楽しくない。
そこに人材を使わないのかよって感じ。
ガンダムが存続する意義は、手描きロボットアニメを続けるという点にあると私は思うので。
ガンダムのCG作品はちょくちょく出ていますけど、そうであればなおさら、平面キャラとCGメカの合わせってことはガンダムではやってほしくなかったんですよ。
単にメカ作画コスト削減でCGを使うだけってことなら、視覚的魅力にはならんでしょうし。
プラモの事情はあるにしても、(イボルブは観てないんだけど)たとえばイグルーは新機体以外まんまマスターグレードでしたから、じゃあザクでもジムでももっと弄っちゃえよ、ライティングだけリアルにしてどーすんのって。
アニメに持ち込むんなら、作画用に線を減らして描くとか。
それで元々のプラモの方が細かくったって、文句はないんだろうからさ。
ガンダムのデザインをまんま硬質な立体にしてどこがリアルなんだという話。
それは関節が動きそうもない原型からリアルグレードにアップデートしたとて同じことで、根本的突拍子無さをディテールでゴマカシてやってるってだけのことです。
1/1ガンダムは自立歩行出来ませんでしたし。
(そもそも歩行が目的の技術的プロジェクトではなく、展示のついでだったようですが)
それでもガンダムがリアルなのは、人間の投影だからです。
作画上、間接が無理に動こうが、装甲が伸び縮みしようが、そこに人間の生命の延長を感じるからリアルなのです。
私はそう思います。
(コクピットのSF考証は、MSの見た目のお約束とは両立できるので、御津羽さん仰るようにアプデしてもいいんじゃないかとは思いますけど。)
そうであればいかに活き活きと描くかという事が重要で、現代の視覚的評価(と、プラモの技術的進歩)に合わせた外見のアップデートの必要があるにしても、それがガンダムのリアリティの全てなのではない。
その点、メカニックの魅力とヒトガタロボットの生命力を兼ね備えたMS描写の最高峰が0083なのでして、しかし公式がガンダム最高のハイクオリティフィルムとか銘打っちゃうあたり、2度とは生まれないのだろうなぁ。
それは現場・制作の熱量だけでなく人材的にも。(タイミング的にも、か?)
メカ作監の佐野さんは0083では安彦メカを意識していたみたいですし、リメイクに何を踏襲するのかと。
同じ看板を立てればいいって話ではないでしょう、きっと。
SEED一発目はファーストを踏襲しつつ、見た目を新しくしようという気概が見られました(それでも大河原MSだったのですが)けど、なんかここ10ねん(20年?)くらいは逆シャア以降の隙間をつまみ食いしつつ、絵的には変わり映えしないっていう、ノッペリ感がある。
せめて色彩設計くらい変えないもんですかね?
思うにビルドファイターズがよくなかった。
あれはおもちゃ的楽しみの再肯定として私は好きな作品です。
ただ、どの時代・世界のMSでも、プラットフォーム的な絵作りの下で描けてしまうことが分かっちゃった。
MS作画の工夫にひと段落ついちゃったのです。
以降のものは全部同じ絵に見えます。
(ついでに、おもちゃ的造形が肯定され過ぎて、虚構のお約束に悪い乗り方をしているように見える。)
