なんとなく続けてガンダムネタ。
「Zガンダム」から現れるムーバブルフレームという設定。
それは「ガンダム」世代のMSが、箱に間接がくっついているようなガンプラ的構造(モノコック)で出来ているのに対して、「Z」世代からのMSは、ターミネーターのT-800のような動く骨格(movableなフレーム)に装甲が付いた形である、というのが私の認識。
一応、例によってウィキペディアとアニオタを覗いたところ、現在の設定としては間違ってはいないようです。
とはいえ、ガンダムの設定が後から更新されてきたものですから、ムーバブルフレームの設定もまた、変遷があるものでしょう。
放送当時か、その以前の設定では、装甲のねじれ・歪みへの対策あるいは説明としてのフレーム構造だった、というのは、これもまた例によって御津羽せんせいのサイトで聞きかじった話ですが。
そしてこのムーバブルフレームというのは、「Z」の前の「エルガイム」の設定を引き継いだものだそうです。
そうであれば、MSのムーバブルフレームという設定は、「エルガイム」から引き続き参加の、永野さんのデザイン性質を持つ新時代のMSの見た目へ、後から説明をつけるためのものでもありましょう。
とはいえ、MSの外見にフレーム的存在を押し出したのは藤田さんの仕事だろうとは思いますが。
「ガンダム」時(一年戦争と言ってもいいけど、新しいビジュアルには明らかにフレームがあるので。)のMSはモノコックだと言っても、最後に登場したジオングの腕部は非装甲ですから(ビグロの腕もそんな感じだけど)、理想的にはそのようなメカ描写があるべしと考えられたのかも。
MSの技術進歩のつながりとしても自然です。
・・・ジオングには、更に内部構造の設定があるので、カバーされた状態を完全とすれば、上腕部のあれは一次装甲なのでしょうけど・・・。
ムーバブルフレームの効果について、モノコックに比べて優れた耐久性によって運動性能(の限界)が上がる、というのは納得。
整備性が上がると言うのはちょっと怪しい。
簡素な仕組みの方が整備はし易そうに思います。
いや、モノコックの方が製造はし易くても、整備性はフレームとボディが分かれている方が、上なのか・・・。
競技車両とか。
モノコックで足回りの負担がボディに響くなら、損傷個所だけ取り換えるってこともできないから・・・。
しかし、四肢の動きに運動した装甲のスライド構造はどうかと。
直感的に、動く部分が多い方がメンドクサイ&脆弱な気がします。
それが自動車のパワースライドドアのような動力によるものではなく、関節に連動した機械的な可動なのであれば、まだマシ・・・なのかもしれませんが、それだったらスライドをフレームの機能とする必要はないと思うんですよね・・・。
つーのは、センチネルへの懐疑心と言いましょうか。
ミツハさんが仰ぐキャプテン・オカノのサイトを訪れたときのこと。
「オタクの危機」関連は今でも耳に痛いし、その真剣さに圧倒されて、俺はオタクにはなれんわな・・・と思ったものです。
ですがセンチネルのカトキデザインへの賞賛ぶりは、リアルタイムでない私からすると、ちょっと冷めた目で見てしまいました。
これもまたオカノさんが書かれていましたが、「ガンダム」出現の衝撃が、「ガンダム」以前の人間にしかわからないのと同じく、センチネルの衝撃も、当時にそれを浴びることが出来た人間にしかわからないものなのですよね。
自分の知らん何かへ熱中している人々への懐疑・・・流行への僻みと受け取られて構いませんが、これは別にセンチネルに限った話ではないんですけどね。
ただ、リアルがどうのという話だと、それは前の記事でも書きましたけど、人型兵器のリアリティはヒトガタの生命感にあるのだ、とするのが私の立ち位置であって、精確さとかディテールとかは、あくまでも表面上のトッピングだと思うのです。
そんで、可動域のための装甲スライド、なんてのを見ると、最初から可動域を確保して動くようにしとけよ、と思ってしまいます。
Sガンダムは変形の都合上、MA形態を基礎としてから、MS形態の可動上の無理へスライドで対応する、という方が合理的であるのかもしれませんが、それがカッケーとは、私は思えないんです。
それは整備性のこともありますが、例えば装甲への被弾(あるいはトラブル)でスライド機構が損なわれたら、同時に可動域を損なうということで。
そんで、可動っつっても、デザインからして大して動かねえだろ、というのが正直なところ。
だから、決めポーズが、ライフルを腰部マウントした姿なんじゃないんですか。
それはガンダムだって、見た目のままならブリキ人形並みにしか動きそうにないのですが、そこはアニメだからってことで理屈をクリアしてしまえば、関節だって”完全装甲”ですし、可動のために装甲を動かすとかいう脆弱さはありません(笑)。
ここで前提を見返すと、センチネルは模型企画なのであって、アニメではない。
しかも、リアルタイムどころか現在でもその元々の連載に触れてもいないので、その見もしない内容にあれこれ文句をつける資格は、私にはないんですよね。
つーことで、本心のところは、ディープに楽しんでいるヘビー層に対しての、ライト層である私の妬みということになりましょう。
と同時に、氾濫につれて滑稽化が進むカトキフォローデザインへの軽い冷笑でもあります。
汎用兵器たるMSが、そんな短い腕で何が出来るのかと。
自力でライフルも拾えますまい。
それが機構・プロポーションに説明が付く程、可笑しく見えてしょうがない。
(「Mk2の肩って回らないよね問題」の延長に見える。)
私がアンチカトキかと言うと、そうではなくて、知らないなりに、センチネルMS群はボリューミーかつシャープでカッコイイし、「G」や「W」でのデザインは、平と曲のメリハリのある面構成や、黒ベタのはったり、ムチムチしたプロポーションなど、大好物です。
ただ、そのデザインを褒める常套句たる「工業的デザインのリアルさ」というのが、それだって一種の見た目的ハッタリに過ぎないじゃないか、と思いますし、そのお約束化したリアリティに疑問も持たずに追従するMSデザイン群が全然好きになれない、という話です。
はぁ。
まじでルサンチマンになってしまった。
富野監督が、自分がバカだと分かりつつもなお勉強しないようなバカは死んじゃえ、と仰るところのバカであるよ。
というより、ガンダムへの勝手な失恋なんだよなぁ・・・。
「愛しい君に 呪いを込めて 歌い続けてくたばる」(THE BACKHORN/運命複雑骨折)
・・・って、いじけてる場合じゃねええええ!
そろそろ、「愚痴」ってカテゴリー作った方がいいでしょうか・・・。
何を書こうとしたんだっけ。
ムーバブルでなければ、「ガンダム」時のMSにフレームがあっても、矛盾とまでは言えないよね、ってことだったかな。
MSの祖のジオン系が、内骨格をパルス駆動で動かすにしても、圧力で動いているわけだから、重機みたいなもので、ムーバブル・フレームとは区別できますよね。
しかし、MSはそもそも人型宇宙攻撃機のようなもので、少なくともザクについては、装甲に駆動部が吊るさっている方式でも、アルカイックなデザインとは言えないのかも。
ボディの耐久力が・・・と言っても、殴り合いはもちろん、艦砲に耐えるなんて想定もしているわけもなく、食らったら終わりか、もしくは機銃なら穴が空くだけで、空間での戦闘機動に耐えれば充分なのでしょう。
動くガンダム像について監督は、初めからMSは1G下で動かす想定はしていない、地上で戦うのはアニメ表現だ、と言っていますし。
ま、(ガンダリウム製の)ガンダムはともかく、ザクのCでもFでも地上で戦っちゃってはいるような・・・。
ルサンチマンついでに書いてしまうのだけど、ディテールがリアルというお約束は、疑われるべきだと思うよ。
前回は3DCGの話だったけど、デジタル作画のガンダム漫画なんかも、まるでプラモの開発CGをなぞったみたいな、ただ精確なだけの作画で、絵になってないんですよ。
キャラクターが描けます、メカも描けます、背景も描けます、エフェクトも作れます、というだけで、それらが同じ空間に存在しないのなら、それはデータの羅列に過ぎないのです。
ミツハさんが「シチュエーションの羅列はストーリーではない」と警鐘を鳴らしていたのと同じようなことです。
リアルディテールの羅列はリアルではなく、モチーフの羅列も絵ではない。
ついでに、局部の羅列は必ずしもエロではない(余計)。
機動兵器のリアリティには、戦闘機を参考にするところが多いと思いますが、相当に良条件じゃなければ、装甲表面のディテールなんか見えないでしょ?
それを、物体は描けないけど設定は複写できますみたいな、限られた領域の専門的手わざ、必要十分なスキル構成みたいなものでやってしまう。
モチロン、見えないディテールを見えるように描くのも、一種のデフォルメであり外連味ではあるのですが(新谷かおるのメカとか)。
安彦さんが、ガンダムなんてやめちゃえば、という姿勢から、ガンダムは続いていって欲しい、に変わったのは、ガンダムという表現のフィールドからクリエイトの才能が産まれてくることに期待しているからですよ、ミツハさん。
というのは25年前に佐野先生との対談で仰っていることなのだけど、そこでは同時に、作り手の専門化・分業化の傾向についても疑問を呈していて、極まった専門的才能は喜んでも、絵・作品作り全体のバランスに目を向けられる立場(能力)の必要も説いてます。
それはまた、受け手の視点がマニアックに尖っていくから、提供されるものもそうなるんだということなのですが。
そのマニアックというお約束(これは蜘蛛エロ批判と同じだが)に引きずられていったんじゃ、期待への及第点みたいなものしか生まれなくなるんじゃないか、ということは思うのです。
それが、絵と言う感性的な技であろうが、人は楽な方が好きなので、トッピングや調味料で拘りの味を真似できるなら、自身には拘りもなくどんどん倣っちゃうんですな。
それがガンダムにおいてはカトキさんのせいだとは言わないが・・・本家を評価したからって、氾濫するエピゴーネンにまで一体のものとして価値が及ぶってことは、個々を冷静に見ていけば、そんなことはないと思うんだよ。
美樹本さんだって、漫画じゃプラモを見てMSを描いていたらしいけど、それでも作家の線空間には変換されてるわけで。
だからせめて、目で見て頭で咀嚼してMSを描こうよって、言いたいな・・・。
いや、本当にデジタルデータをなぞって描いてんのかは、知りませんけどね・・・。
(愚痴の最後っ屁で悪いけど、この頃はガンダムは外へ人材を求めるし、リメイクでさえ自分たちの手で作り上げようという気が無い。
とは言えガンダムは、共通スタッフの出入り・交流はあってもサンライズで閉鎖的に作って来たわけではないだろうから、現状は世代交代で作品に対する思い入れが薄れてきているのでしょう。
40年も経てばスタッフだって「ガンダム」の衝撃を受けてはいないだろうから、名前とともに何を引き継げばいいのか、何を変えればいいのか、という確信を、現場レベルで空気的に持ててはいないし、引き継ぐことに熱意があるようには見えない。
と、いうのは最近のTV放映モノについては「中身を見もしないで」書いていることなのだが、ふつうに考えて、オリジナルの空気を吸えた世代と、残り香さえ浴びられない世代では、作品に対する姿勢が違って当然だろう。
こうも長寿だと、いつまでも「ガンダム」というものがリアルタイムに生きているような気がするが、かろうじて防腐加工された薄皮一枚を着回しているだけなのかもしれない。
だったらいっそ全部ぶっ壊してくれ。
戦隊モノでもアイドルモノでもいい。
どんだけぶっ壊そうが公式がやれば、公式コンテンツだ。
新しいロボットモノがガンダムである必要が無いし、ガンダムで”無い”必要も無いと言えるくらい、ガンダムは一般化した。
後は、乗っかるか否かが、知的財産として得かどうかってぐらい。)
